猫の足あとによる埼玉県寺社案内

閏戸久伊豆神社。蓮田市閏戸の神社

閏戸久伊豆神社の概要

閏戸久伊豆神社は、蓮田市閏戸にある神社です。閏戸久伊豆神社の創建年代などは不詳ながら、元禄11年(1689)閏戸が6ヶ村に分かれて成立した中閏戸村に二社鎮座していた久伊豆社の一社で、村の鎮守として祀られていました。明治7年に上閏戸村・中閏戸村・下閏戸村の三か村が合併して閏戸村が成立、明治9年に村社に列格、明治41年から43年にかけて地内の10社を合祀しています。

閏戸久伊豆神社
閏戸久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 三嶽社、疱瘡神社
祭日 -
住所 蓮田市閏戸3292
備考 -



閏戸久伊豆神社の由緒

閏戸久伊豆神社の創建年代などは不詳ながら、元禄11年(1689)閏戸が6ヶ村に分かれて成立した中閏戸村に二社鎮座していた久伊豆社の一社で、村の鎮守として祀られていました。明治7年に上閏戸村・中閏戸村・下閏戸村の三か村が合併して閏戸村が成立、明治9年に村社に列格、明治41年から43年にかけて地内の10社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による閏戸久伊豆神社の由緒

(中閏戸村)
久伊豆社二宇
村内の鎮守なり、共に中古騎西町に立る、久伊豆を勧請せしと云、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による閏戸久伊豆神社の由緒

久伊豆神社<蓮田市閏戸三二九二(閏戸字北原)>
『風土記稿』によれば、当地は古くは閏戸郷に属し潤戸村と称したが、元禄十一年(一六八九)に閏戸村が六か村に分村したため、それ以降は中閏戸村と称したという。また、旧家黒須与兵衛家の先祖平内五郎が永正十六年(一五一九)に「長渭」なる人物から謝状を、八郎左右衛門尉が氏綱から四月七日付けの判物をそれぞれ与えられたと記されるが、検討を要する。
『風土記稿』中閏戸村の項に「久伊豆神社二宇 村内の鎮守なり、共に中古騎西町に立る久伊豆を勧請せしと云」と載るように、地内にはかつて久伊豆神社が二社祀られていた。一社は「西の宮」と称し見沼用水を背にして鎮座し、もう一社は「東の宮」と称し「西の宮」と現在の国道一二二号を挟んで向き合うように祀られていた。この「西の宮」が当社のことである。往時は当社北に真言宗福正院が隣接し、当社との関わりをうかがわせるが、明治初期に廃寺となり明らかではない。なお騎西町の久伊豆とは現在の玉敷神社のことである。
明治七年に上閏戸村・中閏戸村・下閏戸村の三か村が合併して閏戸村となり、同九年に当社は村社となった。
明治四十一年に「東の宮」を合祀したのに続き、同四十三年には村内の九社を合祀した。なお、昭和二十年の宗教法人法施行に伴い、上閏戸の愛宕神社と下閏戸の伊夜彦神社は旧社地に戻された。(「埼玉の神社」より)

埼玉県・蓮田市掲示による閏戸久伊豆神社の由緒

「閏戸の久伊豆神社」
蓮田市には七つの久伊豆神社があり、すべて元荒川流域のみに分布しています。これは舟での運搬が深く関係しており、川の流れに沿って土地が開発されていったからではないかと思われます。
したがって、「久伊豆」の神は、豊作の神、水の神としての性格を持ち、稲作の信仰として祭られたと考えられ、当時の村の鎮守様であるなど、それぞれ個性的な歴史を持っています。
この「閏戸の久伊豆神社」は、かつて二社ありました。「武蔵風土記稿」に「久伊豆神社二宇村内ノ鎮守ナリ」と記されており、旧一二二号道を挟んで向き合うように「東の宮」「西の宮」が祀られていました。現在の神社は西の宮です。境内には、三嶽社、疱瘡神社があり、石の獅子頭、力石が残されています。当社の祭事は、一月一日の元旦祭、五月五日の春季祭ですが、春季祭では「お獅子様」が行われ無業息災を祈る行事があります。(はすだ観光協会掲示より)


閏戸久伊豆神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)