石坂秋葉神社。休山寺の表鬼門除けに創建した社
石坂秋葉神社の概要
石坂秋葉神社は、比企郡鳩山町石坂にある神社です。石坂秋葉神社の創建については詳細不明ながら、安土桃山時代頃に創建した休山寺の表鬼門除けに創建したと伝えられます。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿に記載されていませんが、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年(休山寺の裏鬼門除けに祀られた)愛宕社を始め、諸社を合祀しています。
社号 | 秋葉神社 |
---|---|
祭神 | 火産霊神 |
相殿 | - |
境内社 | 愛宕社、七社神社 |
祭日 | 例大祭10月16日、祈年祭4月18日 |
住所 | 比企郡鳩山町石坂1233 |
備考 | - |
石坂秋葉神社の由緒
石坂秋葉神社の創建については詳細不明ながら、安土桃山時代頃に創建した休山寺の表鬼門除けに創建したと伝えられます。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿に記載されていませんが、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、明治40年(休山寺の裏鬼門除けに祀られた)愛宕社を始め、諸社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による石坂秋葉神社の由緒
(石坂村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による石坂秋葉神社の由緒
秋葉神社<鳩山町石坂一二三三(石坂字上沢)>
当社は、曹洞宗の寺院である石坂山休山寺の東北の山上に鎮座している。その境内は欝蒼とした木々に囲まれ、休山寺とは小道で結ばれている。口碑によると、この休山寺の表鬼門に寺の守護神として祀られたのが当社であるといい、裏鬼門には愛宕社が祀られたという。
『風土記稿』によれば、休山寺は甲州の士山形三郎兵衛昌景が戦死の後、その夫人が、夫昌景菩提のために草創した。位牌に休山賢公大禅定門・天正三年(一五七五)五月二十二日とあり、同寺の号はこの謚号をとったものである。開山は越生町竜穏寺一四世大鐘良賀であるという。
恐らくは、休山寺の創建から余り下らない時期に当社は創建されたものであろう。
明治初年の神仏分離によって寺の管理下から離れた当社は、『明細帳』によれば、明治四年に村社となり、同四十年には字大平の神明社、字夜一山の七社神社、字池田の稲荷社、字上沢の愛宕社(休山寺の裏鬼門に祀られた社)、字唐沢の天神社、字立野の稲荷社・山神社、字十郎の白山社の無格社八社を合祀した。ただし、それらの多くが書類上の合祀に終わった模様である。(「埼玉の神社」より)
石坂秋葉神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)