熊井黒石神社。上熊井地区の鎮守
熊井黒石神社の概要
熊井黒石神社は、比企郡鳩山町熊井にある神社です。熊井黒石神社の創建年代等は不詳ながら、当社の別当を務めていた妙光寺は、熊井太郎忠基の子孫が開基、竺翁(弘安9年1286年寂)が開山したとされることから、熊井氏が当社の創建に関与したことが推測されます。江戸期には熊井村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治40年(妙光寺が別当を務めていた)字熊瀬ケ沢の愛宕社、字八幡台の八幡社、字神明の神明社を合祀しています。現在上熊井地区の鎮守として祀られています。
社号 | 黒石神社 |
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祭神 | 日本武尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 春祈祷2月18日、秋祭り10月9日 |
住所 | 比企郡鳩山町熊井1015 |
備考 | - |
熊井黒石神社の由緒
熊井黒石神社の創建年代等は不詳ながら、当社の別当を務めていた妙光寺は、熊井太郎忠基の子孫が開基、竺翁(弘安9年1286年寂)が開山したとされることから、熊井氏が当社の創建に関与したことが推測されます。江戸期には熊井村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治40年(妙光寺が別当を務めていた)字熊瀬ケ沢の愛宕社、字八幡台の八幡社、字神明の神明社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による熊井黒石神社の由緒
(熊井村)
黒石明神社
村の鎮守なり、本地佛十一面觀音を安ず、妙光寺持、下三社同、
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神明社
愛宕社
八幡諏訪合社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による熊井黒石神社の由緒
黒石神社<鳩山町熊井一〇一五(熊井字宮山添)>
大字熊井の地内には、戦国期の創建になる万願寺・妙光寺があり、他に西福寺は慶長年間(一五九五~一六一五)の建立である。地内を旧鎌倉街道上道が通る。
『明細帳』は祭神を日本武尊とし、由緒は「尊東夷征伐還御ノ還御休憩アリシト依テ勧請スト云、創建不詳、思フニ其頃村落未開ナリシモ尊ヲ勧請、未開土地モ開キ居民モ繁殖ニ至ヤ、因テ尊ヲ鎮守ト崇ムト右旧記ナシト雌モ古来人口ニ伝テ存ス」と記している。
また、『風土記稿』には「黒石明神社 村の鎮守なり、本地仏は十一面観音を安ず、妙光寺持」とある。これに見える別当の妙光寺は、熊井山不動院と号する真言宗の寺院で、開山竺翁が弘安九年(一二八六)に示寂したという。一説には妙光寺の辺りに源義経に仕えた熊井太郎忠基が居城した城があり、その子孫は代々心入坊と称して修験の身になったといい、同寺はこの熊井氏の開基であると伝えている。
内陣には長さ六〇センチメートルと四七センチメートルの大小一対の灰色をした岩石が奉安されており、社名の由来をうかがわせる。
明治四十年に字熊瀬ケ沢の愛宕社、字八幡台の八幡社、字神明の神明社の無格社三社を合祀した。この時、八幡社の社殿を移築して、従来の拝殿につなげて社務所となった。更に大正四年には境内の愛宕社と天神社を本社に合祀した。(「埼玉の神社」より)
熊井黒石神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)