妙光寺。鎌倉時代の創建
妙光寺の概要
真言宗智山派寺院の妙光寺は、熊井山不動院と号します。妙光寺は、当地近くに館を構えていた源義経に仕えた熊井太郎忠基の子孫が当寺を開基したと伝えられ、竺翁(弘安9年1286年寂)が開山したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領9石の御朱印状を受領、熊井黒石神社をはじめ神明社・愛宕社・八幡諏訪合社を有していました。
山号 | 熊井山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 妙光寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 比企郡鳩山町熊井800 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙光寺の縁起
妙光寺は、当地近くに館を構えていた源義経に仕えた熊井太郎忠基の子孫が当寺を開基したと伝えられ、竺翁(弘安9年1286年寂)が開山したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領9石の御朱印状を受領、熊井黒石神社をはじめ神明社・愛宕社・八幡諏訪合社を有していました。
「近世鳩山図誌」による妙光寺の縁起
熊井村の妙光寺
上・下熊井の境付近にあり、前掲満願寺を西に見る。開削場所は、両側を小支谷で画された独立状の支丘中腹である。参道両側に民家、があり、一軒は熊井焼の窯元である。発掘調査により境内基から中世墓が多数検出され、『新記』の「開山竺翁は弘安九年の示寂」の記載とも合うことから、開基年代は、鎌倉時代としてよいようである。
新義真言宗で本尊は不動。諸堂に地蔵堂一宇を抱える。寺領九石の御朱印状が下されている。経緯は不明だが、鎮守黒石明神社の別当を務めるほか、付属社として神明社、愛宕社、八幡諏訪合社の三社を抱える(『新記』)。地蔵堂西側に続く境内墓の墓数は、中世墓より縮小している。ちなみに明治初期の熊井村作成の明細帳によれば、檀家数は十四軒とある。なお、現亀井小学校の大本になる熊井学校は、本寺に開かれた寺子屋を前身とする。(「近世鳩山図誌」より)
新編武蔵風土記稿による妙光寺の縁起
(熊井村)
妙光寺
慶安二年寺領九石の御朱印を賜ふ、新義眞言宗、入間郡今市村法恩寺の末、熊井山不動院と號す、開山竺翁は弘安九年の示寂にて、其月日は失へり、本尊不動を安ず、傳教大師の作れる所と云、
地蔵堂。行基の作なる地蔵を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による妙光寺の縁起
黒石神社<鳩山町熊井一〇一五(熊井字宮山添)>
また、『風土記稿』には「黒石明神社 村の鎮守なり、本地仏は十一面観音を安ず、妙光寺持」とある。これに見える別当の妙光寺は、熊井山不動院と号する真言宗の寺院で、開山竺翁が弘安九年(一二八六)に示寂したという。一説には妙光寺の辺りに源義経に仕えた熊井太郎忠基が居城した城があり、その子孫は代々心入坊と称して修験の身になったといい、同寺はこの熊井氏の開基であると伝えている。(「埼玉の神社」より)
妙光寺所蔵の文化財
- 妙光寺の木造地蔵菩薩半跏像
- 妙光寺の弘安九年板碑
妙光寺の周辺図
参考資料
- 「近世鳩山図誌」
- 新編武蔵風土記稿