舛井戸遺跡。瑠璃光院の御手洗井戸、鳩山町指定記念物
舛井戸遺跡の概要
舛井戸遺跡は、比企郡鳩山町須江にある名所旧跡です。舛井戸遺跡は、当地丘上に奉安されていた日の出薬師尊(旧瑠璃光院)に参詣する御手洗井戸として寛徳年間(1044-1046)に建設されたといいます。明治維新後に瑠璃光院は廃寺となり、薬師如来像は長命寺へ遷された後も、住民の飲料水として用いられていたそうです。昭和32年道路拡張工事により埋め立てられたものの、復元・保存され、鳩山町記念物に指定されています。
旧跡・名所名 | 舛井戸遺跡 |
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区分 | 町指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 比企郡鳩山町須江403-1 |
備考 | - |
舛井戸遺跡の縁起
舛井戸遺跡は、当地丘上に奉安されていた日の出薬師尊(旧瑠璃光院)に参詣する御手洗井戸として寛徳年間(1044-1046)に建設されたといいます。明治維新後に瑠璃光院は廃寺となり、薬師如来像は長命寺へ遷された後も、住民の飲料水として用いられていたそうです。昭和32年道路拡張工事により埋め立てられたものの、復元・保存され、鳩山町記念物に指定されています。
境内掲示による舛井戸遺跡について
舛井戸遺跡
寛徳年間のころ(西暦一〇四五年)この地に日出薬師尊があった。参詣する善男善女の御手洗井戸として建設された。以来、今日に至るまで渇水することなく明泉が湧出している。先人たちが伊勢神宮、黒石神社に参拝の折に身体を浄めた泉といい伝えられている。又干魃の際には住民の飲料水として近年まで用いられていた。昭和三十二年道路拡張工事により一時埋立られたが、地元有志により復元され由緒ある遺跡として保存することとした。(鳩山村教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による舛井戸遺跡について
(須江村)
瑠璃光院
本山派修験、入間郡西戸村山本坊の配下、須江山光雲寺宮本坊と號す、本尊不動を安ず、
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
舛井戸遺跡の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」