圓正寺。比企郡鳩山町赤沼にある曹洞宗寺院

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圓正寺。円接禅寺を引き継いで創建、埼玉県指定文化財の雲版

圓正寺の概要

曹洞宗寺院の圓正寺は、寶陀山と号します。圓正寺は、関東管領上杉氏が開基したと伝えられる円接禅寺の跡地東側に、大震須高(寛永8年1631年寂)が圓正寺として開山、徳川家康が関東入国した翌年の天正18年(1591)には寺領5石の御朱印状を受領していました。当寺の雲版は、昭和8年に本堂近くの畑地から発見されたもので埼玉県有形文化財に指定されています。

圓正寺本堂
圓正寺の概要
山号 寶陀山
院号 -
寺号 圓正寺
本尊 聖觀音像
住所 比企郡鳩山町赤沼17
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



圓正寺の縁起

圓正寺は、関東管領上杉氏が開基したと伝えられる円接禅寺の跡地東側に、大震須高(寛永8年1631年寂)が圓正寺として開山、徳川家康が関東入国した翌年の天正18年(1591)には寺領5石の御朱印状を受領していました。

「近世鳩山図誌」による圓正寺の縁起

赤沼の円正寺
今宿の町屋裏手にある。発掘調査の成果によれば(『町内遺跡Ⅱ』町教委一九九七年)、西隣の中世寺院円接禅寺から移って、戦国末期に現在地に創建される(寺伝では関東管領上杉氏の開基創建)。中世段階では西隣にあり、寺名も円接禅寺。江戸期創建については、「豊島郡赤塚村松月院末、天正十九年、寺領五石の御朱印を賜う、宝陀山と号す、開山僧大震須高、寛永八年九月十二日寂す」とあるので、発掘調査の結果とあう。
禅宗曹洞派で本尊は聖観音。脇侍十一面観音とともに町指定文化財。寺領五石の御朱印は、徳川家康段階の天正十九年に下された町内寺社ではもっとも早い段階のもので、御朱印状一式は町指定文化財である。境内に不動堂があるが、多数の絵馬が奉納されており、絵馬堂の観を呈す。境内隅に天神社が鎮座する。現存しないが、『新記』に記載する天明三年銘の銅鐘は、小用鋳物師の作品である。また後述休山寺同様境内に建碑された教恩碑(町指定史跡)は、寺子屋段階の筆子塚である。(「近世鳩山図誌」より)

新編武蔵風土記稿による圓正寺の縁起

(圓正寺)
禅宗曹洞派、豊嶋郡赤塚村松月院末、天正十九年寺領五石の御朱印を賜ふ、寶陀山と號す、開山僧大震須高寛永八年九月十二日寂す、本尊正觀音を安ず、外に良辨の作不動を安ず、是は元文の頃、時の住僧秩父郡吉田村金剛院より授受して、當寺に安ず、
鐘樓。鐘は天明三年の鑄造なり、
天神社(新編武蔵風土記稿より)


圓正寺所蔵の文化財

  • 雲版(埼玉県指定有形文化財)
  • 円正寺の御朱印状(町指定文化財)
  • 円正寺の宝篋印塔(町指定文化財)
  • 円正寺の不動堂の算額(町指定文化財)
  • 円正寺の不動堂の鰐口(町指定文化財)
  • 円正寺の不動堂の絵馬(町指定文化財)
  • 円正寺の教恩碑(町指定文化財)
  • 円正寺の不動堂おみくじ及び版木(町指定文化財)
  • 円正寺の木造聖観音坐像(町指定文化財)
  • 円正寺の木造十一面観音立像(町指定文化財)

圓正寺の釋迦如来坐像

雲版は、禅宗とともに鎌倉時代に中国より伝来した仏法具である。青銅や鉄でつくられ(鋳造品)、主に禅宗寺院の庫裏・食堂などに懸けて食事の合図などに打ち鳴らされた。
円正寺の雲版は、昭和8年に本堂近くの畑地から偶然出土した。大きさは、長さ44.0cm、幅39.5cmを測る。頭部の中心に円い吊手孔があり、撞座は蓮華文を鋳出している。雲版の時代的特徴は、各部位の形状等に認められるが、本雲版は、頂部の幅が狭く、頸部から上野部分の割合が全体に対して比較的小さい。また頭部の形状はトサカ状を示し、頂部中央が余り高くならない。吊手孔は1個で、その位置が頂部に近いほど新しい傾向があるが、本雲版には、まだそうした傾向は認められない。
このほか腰・裾・撞座等の各部位にわたし、概ね銘文年代である南北朝頃の特徴が認められる。なお、肩部は蕨手状になるものが一般的であるが、本例はゆるやかにカーブするのみで通例とは異なる。
雲版の表面には、「武州入西淺羽圓接禅寺」「住持比丘通正置之」「應安四年辛亥月初吉」「大工金刺重弘」(應安四年=1371年)の銘文が刻まれている。鳩山町は中世後期以降の小用鋳物師の里として知られているが、銘文中の大工金刺重弘は、小用鋳物師の前身を考える上で注目される人物である。(埼玉県教育委員会・鳩山町教育委員会掲示より)

圓正寺の周辺図


参考資料

  • 「近世鳩山図誌」
  • 新編武蔵風土記稿