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野々宮神社。日高市野々宮の神社、旧村社

野々宮神社の概要

野々宮神社は、日高市野々宮にある神社です。野々宮神社の創建年代等は不詳ながら、社家である野宮家の先祖は日向国タカサダの地より来住したといい、社の古文書に大宝3年(703)社殿修築という記述があります。慶安2年(1649)徳川家光から4石5斗の朱印状を拝領しています。江戸期には野々宮村・楡木村・猿田村・新堀村・栗坪村等の鎮守、明治時代には村社に列格していました。境内には天保2年(1831)に江戸相撲歳寄行司武が築いた土俵が残されています。なお、同名の社が入間の野々宮神社鴻巣の野々宮神社とあります。

野々宮神社
野々宮神社の概要
社号 野々宮神社
祭神 天照大神、瓊々杵尊、猿田彦命、倭姫命
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭:10月3-9日の日曜日
住所 日高市野々宮146
備考 野々宮村・楡木村・猿田村・新堀村・栗坪村等の鎮守、旧村社




野々宮神社の由緒

野々宮神社の創建年代等は不詳ながら、社家である野宮家の先祖は日向国タカサダの地より来住したといい、社の古文書に大宝3年(703)社殿修築という記述があります。慶安2年(1649)徳川家光から4石5斗の朱印状を拝領しています。江戸期には野々宮村・楡木村・猿田村・新堀村・栗坪村等の鎮守、明治時代には村社に列格していました。境内には天保2年(1831)に江戸相撲歳寄行司武が築いた土俵が残されています。なお、同名の社が入間の野々宮神社鴻巣の野々宮神社とあります。

新編武蔵風土記稿による野々宮神社の由緒

野之宮社
天照太神、瓊々杵尊、猿田彦命、倭姫命を祭と云。慶安2年4石5斗の御朱印を賜ふ。例祭9月9日、当村及び楡木村・猿田村・新堀村・栗坪村等の鎮守なり。神職野之宮市正吉田家の配下なり。(新編武蔵風土記稿より)

日高市掲示による野々宮神社の由緒

野々宮神社は、祭神に天照大神、瓊々杵尊、猿田彦命、倭姫命を祀っている。創立年代は不詳であるが、社家の古文書によると大宝3年(703)社殿修築という記述があって、口碑、伝説などがら推察するとがなりの古社と考えられる。慶安2年(1649)徳川家光から賜わった社領4石5斗の安堵状なども保存されている。野々宮神社は関東地方では珍しく、狭山市に一社あるほかは近隣にはない。祭神や高麗川のほとりにあることや、拝殿内の絵馬に、奉献「太祓一万度」とあるところなどから、潔斎の宮・お祓いの神であり、京都嵯峨か紫野の野宮の分祠と考えられる。
例大祭は、毎年十月九日で、この際奉納される獅子舞は近隣のものに比へて勇壮で美しく、特に蛇をのむくだりは、他に例を見ないものである。(日高市掲示より)

日高市掲示による野々宮神社の由緒

野々宮神社の創建は定かではないが、大宝3年(703)に社殿を建築した伝承がある古社です。祭神に天照大神、瓊々杵尊、猿田彦命、倭姫命を祀っています。高麗川の川辺に鎮座し「祓の社」といわれています。当社は伊勢神宮に仕える斎王に選ばれた皇女、女王が身を清めるため1年間こもった嵯峨の野宮神社の分社であると考えられています。また社蔵文書には「当社高麗王の尊霊を祀る」との記述がみられることから高麗郡の設置や高麗王若光との関係がうかがわれます。(日高市掲示より)

「埼玉の神社」による野々宮神社の由緒

野々宮神社<日高町野々宮一四六(野々宮字小竹)>
武蔵野台地を流れる高麗川の沿岸に開ける野々宮は、そのたたずまいに古代の人々の生活の営みを感じさせる所である。
社家である野宮家の先祖は日向国タカサダの地より来住したとされ、代々長男は高の字を名乗りに用いるという。
また、同じ社号を持つ狭山市北入曾の野々宮神社社家の宮崎家の口碑には、先祖は神武天皇東征に従い日向国より大和に入り、やがて朝命により兄弟三人東国に派遣される。一人は入間(北入曾)に、一人は高麗(当社社家先祖)に、一人は鴻巣に居を構えて、それぞれ野々宮神社を祀り、土地の経営に当たったという。
社記に「四十二代文武天皇の大宝三年社殿修築」の記事がある。大宝三年(七〇三)とは、同元年に施行された大宝律令によって引田朝臣祖父が武蔵国の国司として赴任した年で、当社修築はこれにかかわるものであろう。なお、当時の国府は府中であったとされている。
霊亀二年(七一六)に駿河以東七カ国の高麗人一七九九人を当地方に移して高麗郡を設置する。社伝によると高麗王若光遠乗りの折、当社近くにて落馬し、これは身の穢によるとして当社前に祓を修した。
また、野宮とは神宮に仕える斎宮が、奉仕に先立って一年間潔斎生活を送る斎殿を指している。
当社は高麗川に、入間の野々宮神社は不老川に、鴻巣の野々宮神社は荒川にと、それぞれ川辺に鎮座し、祀職は祓の伝承地日向出身と伝えている、以上のことは野々宮神社が“祓の社”としての役割を持っていることを物語るものであろう。
『明細帳』に、社殿の再建を天徳三年(九五九)とし、神田隼人・新井縫之助の建立、その後数度の再営を経て、現在の社殿は寛永三年と記している。また、内神宮と称する内陣の造営は享保一〇年である。
『風土記稿』に「野々宮社 天照大神・瓊々杵尊・猿田彦命・倭姫命を祭と云、慶安二年四石五斗の御朱印を賜ふ、例祭九月九日、当村及び楡木村・猿田村・新堀村・栗坪村等の鎮守なり、神職野々宮市正吉田家の配下なり」とある。猿田村は、高麗市百苗の一つ神田姓が多く、古くは高麗神社の神饌田があったと伝えている。
当社の北に、高麗川を挟んで高麗神社があるが、当社の社蔵文書に「当社高麗王の尊霊を祀る」との記事があり、高麗神社との深い関係をうかがわせる。しかし、高麗神社が高麗山大宮寺と称することに対して、当社が高麗山野々宮大宮司であったため、音読による誤解を招くと抗議する間柄に変化した時代もある。
祀職を務める野々宮家は、所蔵文書「天文十六年十一月十九日・覚之事(六所宮祭事ニ付参集覚写)」に野々宮勘子の名が残る旧家で、代々大宮司を称している。(「埼玉の神社」より)


野々宮神社所蔵の文化財

  • 獅子舞(日高市市指定文化財)
  • 野々宮神社奉納相撲場付関係資料(日高市指定有形民俗文化財)

獅子舞(市指定文化財昭和57年12月8日指定)

10月9日(現在は10月3-9日の日曜日に行っています)の例大祭は氏子によって奉納される獅子舞が伝えられています。この獅子舞の場の「笹掛り」は、雌獅子を廻って2頭の雄獅子が蛇を奪い合って飲み込む独特のものです。(日高市掲示より)

野々宮神社奉納相撲場付関係資料(日高市指定有形民俗文化財)

拝殿前の6m四方、高さ45cmの土壇の上には、天保2年(1831)に土俵古実作法にのっとり江戸相撲歳寄行司武が築いた土俵が保存状態も良く残っています。この土俵では奉納相撲が行われていました。その他に、「嘉永2巳酉年(1849)林鐘十有一日 於当社興行」と記されている相撲番付が保存されています。土俵、番付表2枚、古文書2通、力石3個が相撲関係資料として指定されています。(日高市掲示より)


野々宮神社の周辺図

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