鴻巣野宮神社。神武東征に従った野々宮家が祀った社
鴻巣野宮神社の概要
鴻巣野宮神社は、鴻巣市原馬室にある神社です。鴻巣野宮神社の創建年代等は不詳ながら、狭山市北入曾の野々宮神社社家の宮崎家や、日高市野々宮の野々宮神社社家の野々宮家に、「神武東征の際、先祖の三兄弟が朝命によって東国に派遣され、一人は入間(北入曾)に、一人は高麗(日高)に、一人は鴻巣に居を構え、それぞれ野々宮神社を祀り、土地の経営に当たった」との口碑があり、鴻巣野宮神社が該当するのではないかといいます。
社号 | 野宮神社 |
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祭神 | 野槌命 |
相殿 | - |
境内社 | 天神社、大国社、稲荷社、富士浅間社 |
祭日 | 大祭9月1日 |
住所 | 鴻巣市原馬室806 |
備考 | - |
鴻巣野宮神社の由緒
鴻巣野宮神社の創建年代等は不詳ながら、狭山市北入曾の野々宮神社社家の宮崎家や、日高市野々宮の野々宮神社社家の野々宮家に、「神武東征の際、先祖の三兄弟が朝命によって東国に派遣され、一人は入間(北入曾)に、一人は高麗(日高)に、一人は鴻巣に居を構え、それぞれ野々宮神社を祀り、土地の経営に当たった」との口碑があり、鴻巣野宮神社が該当するのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による鴻巣野宮神社の由緒
(鴻巣村)
野々宮社
村内稲福寺の持。
稲福寺
新義真言宗、瀧馬室村常勝寺の門徒稲荷山と號す、本尊地蔵。
稲荷社 (新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による鴻巣野宮神社の由緒
野宮神社<鴻巣市原馬室八〇六(原馬室字谷津)>
原馬室は、荒川東岸の低地から大宮台地の北西端にかけて位置する農業地域である。江戸時代には足立郡石戸領のうちで、当初は隣接する滝馬室と共に馬室村と称していたが、元禄年間(一六八八-一七〇四)までに分村し、その地内に原野が多いことから「原」の字を冠したという。こうした鎮座地の地名の由来と、「野宮」という当社の社号との間には、深いかかわりが感じられる。
当社は、この原馬室の中の谷津という字の氏神として祀られてきた神社であり、『風土記稿』原馬室村の項に「野々宮社 村内稲福院の持」と記されているように、江戸時代には滝馬室村常勝寺の門徒である真言宗の稲荷山稲福寺が別当として管理や祭祀を行っていた。稲福寺は、当社の南隣に合ったが、神仏分離によって明治六年に廃寺となった。
狭山市北入曾の野々宮神社社家の宮崎家や、日高市野々宮の野々宮神社社家の野々宮家には、「神武東征の際、先祖の三兄弟が朝命によって東国に派遣され、一人は入間(北入曾)に、一人は高麗(日高)に、一人は鴻巣に居を構え、それぞれ野々宮神社を祀り、土地の経営に当たった」との口碑がある。当社や当地には、これに類する伝承はないが、ここに伝えられる鴻巣の野々宮神社が、当社のことと思われる。
妙楽寺持。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
鴻巣野宮神社の周辺図