野々宮神社(北入曽)。狭山市北入曽の神社

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野々宮神社(北入曽)。日本武尊の東征に従った野々宮

野々宮神社(北入曽)の概要

野々宮神社(北入曽)は、狭山市北入曽にある野々宮神社(北入曽)です。野々宮神社(北入曽)の創建年代等は不詳ながら、日本武尊の東征にしたがった社家が、当地に土着、日本武尊(蔵王神社)並びに大日孁貴命(神明社)を創建したと伝えられ、建仁2年・天正4年・元禄2年・宝永3年の再建棟札が残されているといいます。明治40年神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社を境内に合祀しています。なお、同名の社が日高市野々宮の野々宮神社鴻巣市の野宮神社とあり、社家の先祖は日向国タカサダの地より来住、3家に分かれたといいます。

野々宮神社(北入曽)
野々宮神社(北入曽)の概要
社号 野々宮神社
祭神 倭姫命
相殿 大国主命、少毘古名命
境内社 神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社
住所 狭山市北入曽277
祭日 -
備考 -



野々宮神社(北入曽)の由緒

野々宮神社(北入曽)の創建年代等は不詳ながら、日本武尊の東征にしたがった社家が、当地に土着、日本武尊(蔵王神社)並びに大日孁貴命(神明社)を創建したと伝えられ、建仁2年・天正4年・元禄2年・宝永3年の再建棟札が残されているといいます。明治40年神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社を境内に合祀しています。なお、同名の社が日高市野々宮の野々宮神社鴻巣市の野宮神社とあり、社家の先祖は日向国タカサダの地より来住、3家に分かれたといいます。

新編武蔵風土記稿による野々宮神社(北入曽)の由緒

(北入曽村附新田)
愛宕社
天王社
以上二社は常泉寺
稲荷社
野々宮明神社
以上二社は修験寶泉寺の持なり。
伊勢宮
稲荷社
以上二社は村民の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による野々宮神社(北入曽)の由緒

野々宮神社(狭山市北入曽二七六)(北入曽字中原)
当地には日本武尊東征の折に掘られた、すりばち型の深井戸があり、古くから掘難ノ井(掘兼ノ井)と呼ばれている。この井戸は、底の井筒まで降りる曲がりくねった道があることから、七曲井とも呼ばれ、重要な水源として利用されていた。尊の没後、土地の者は尊の遺徳を偲び、縁の地に日本武尊(蔵王神社)並びに大日孁貴命(神明社)を祀った。当社社家の宮崎家は、神武東征の時、朝廷の命により大日孁貴命と御杖代としての倭姫命の奉斎と入間路の警備及び七曲井の管理に当たったと伝え、この時、当社を祀ったと思われる。この時に、高麗・鴻巣にも野々宮神社が祀られたという。
『延喜式』に「凡諸國驛路邊植菓樹。令往還人得休息。若無水盛。量便掘井。」とあり、当社創祀と七曲井の関係がうかがわれる。
建仁二年三月・天正四年八月・元禄二年八月・宝永三年四月の再建棟札が今も所蔵されている。
江戸期、別当を聖護院末天徳山宝泉寺が務め、印可状一五通が所蔵されている。宝泉寺は篠井の観音堂の配下であったが、神仏分離により法印峯純は復飾して宮崎宝と名乗り、明治七年に当社祠官となり、現職の茂景まで代々当社神職を務めている。
主祭神は倭姫命、合祀神は大国主命・少毘古名命である。明治四〇年神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社を境内に合祀した。(「埼玉の神社」より)


野々宮神社(北入曽)の周辺図


参考資料