清光寺。足立坂東観音霊場、小貝戸貝塚
清光寺の概要
天台宗寺院の清光寺は、福王山金剛院と号します。清光寺は、僧運海(元禄11年1698年寂)が開山、檀家を持たない寺院だといいます。本堂は、小室観音堂で、足立坂東観音霊場5番となっています。当地からは貝塚が発見されており、小貝戸貝塚として埼玉県史跡に指定されています。
山号 | 福王山 |
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院号 | 金剛院 |
寺号 | 清光寺 |
本尊 | 聖観世音菩薩像 |
住所 | 伊奈町小室9352 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
清光寺の縁起
清光寺は、僧運海(元禄11年1698年寂)が開山、檀家を持たない寺院だといいます。本堂は、小室観音堂で、足立坂東観音霊場5番となっています。
新編武蔵風土記稿による清光寺の縁起
(小貝戸村)
清光寺
天台宗、岩槻慈恩寺門徒、福王山照王院と號す、開山運海元禄十一年九月二十日寂す、本尊は薬師を安置せり、
観音堂(新編武蔵風土記稿より)
「伊奈町史」による清光寺の縁起
清光寺は、福王山金剛院清光寺と号する天台宗の寺で、本尊は薬師如来である。岩槻慈恩寺の末寺で、『風土記稿』では、院号を照王院、開山は、元禄一一年九月二〇日に寂した運海としている。
この清光寺は、檀家を持たない寺である。しかし、信徒という形で、小貝戸全体がかかわりを持っている。現在は親和会という組織になっている。親和会は、七つの隣組から二人ずつ合計一四人の総代が出ている。二年任期であるが、二人の総代の任期が一年ずれており、毎年新しく就任する総代と、二年目の総代の組合せになっている。このほか、開帳のときだけ寄付集めなどを行う世話人がある。
現在の本堂は、元々観音堂であり、この観音様の縁日が、一月二日と八月一六日である。このときの幟立てと、近年(平成になってから)行われるようになった一月二日のだるまの服売は親和会で行っている。なお、この観音様は聖観音立像であり、足立坂東三十三観音霊場の五番札所にもなっている。(「伊奈町史」より)
清光寺関連の文化財
- 小貝戸貝塚
小貝戸貝塚
農業が未だ行われていなかった縄文時代には人々は野山で草木の実や動物を捕えたり、海や川で魚や貝類をとって食用としていました。
「貝塚」はその当時の人々が食べた貝の殻をまとめて捨てた所といわれています。
この小貝戸貝塚は縄文時代の前期(今から約七、〇〇〇年前)のものです。淡水産のヤマトシジミが主でアサリ、ハマグリ、ハイガイなどが集積されています。
本県は考古学上貴重な史跡として大正十三年三月「埼玉県指定史跡」に指定し保存にあたっています。(埼玉県・伊奈町教育委員会掲示(新編武蔵風土記稿より)
清光寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「伊奈町史」(伊奈町教育委員会)