備後東香取神社。春日部市備後東の神社

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備後東香取神社。埜澤帯刀吉長等が創建

備後東香取神社の概要

備後東香取神社は、春日部市備後東にある神社です。備後東香取神社は、小田原北条の役で岩槻城を守っていた埜澤帯刀吉長等が、落城後(天正18年1590年)当地に逃れて村を開拓した際、眞福寺と共に創建したといいます。江戸期には備後村の鎮守社として祀られていましたが、明和年間(1764-1772)に下組が建御雷神社を鎮守とするようになってからは上組・西川組・中組の鎮守となっていました。

備後東香取神社
備後東香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 宇迦之御魂神
境内社 浅間大神、厳島神社
祭日 例大祭4月15日、お日待10月15日、新穀感謝祭12月8日
住所 春日部市備後東1-27-17
備考 -



備後東香取神社の由緒

備後東香取神社は、小田原北条の役で岩槻城を守っていた埜澤帯刀吉長等が、落城後(天正18年1590年)当地に逃れて村を開拓した際、眞福寺と共に創建したといいます。江戸期には備後村の鎮守社として祀られていましたが、明和年間(1764-1772)に下組が建御雷神社を鎮守とするようになってからは上組・西川組・中組の鎮守となっていました。

新編武蔵風土記稿による備後東香取神社の由緒

(備後村)
香取社
村の鎮守、眞福寺持、
末社。淺間、辨天、稲荷、秋葉三峯稲荷合社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による備後東香取神社の由緒

香取神社<春日部市備後東一-二七-一七(備後字一ノ縄)>
当社の鎮座する備後東は、春日部市の南部に位置する。東端には古利根川が流れ、その自然堤防が広がっている。備後の地名は、江戸期まで用いられた国名の一つ、備後国にちなむとも、備後西に鎮座する須賀の稲荷神社の祭神がけがをして足が不自由になったことによるともいう。また、当社の周辺は西川と呼ばれるが、これは江戸期まで、当社の裏を古利根川が流れていたことに由来する。
創建について、詳しいことは不明であるが、『明細帳』には「創立年月不詳文明(一四六九-八七)ノ頃トノ申伝ナリ」と記されている。
また、『風土記稿』に「香取社 村の鎮守、真福寺持」と記され、江戸期には隣接する浄土宗真福寺が別当を務めていたことが分かる。
更に、『明細帳』には、「往古ハ上中下三組ノ鎮守ナリシカ其後明和年中(一七六四-七二)下組ハ雷電神社ノ氏子トナリ明治六年五月中氏子多数ヲ以テ村社ト公称ス」と載せ、『風土記稿』にも「雷電社 是も鎮守とす、村民の持」とあることから、下組の氏子が一時期当社から離れていた様子がうかがえる。
その後、明治四十五年のこととして、『明細帳』に「大字備後字大道東無格社稲荷神社ヲ合祀ス」と記録する。この社の跡地は、昭和二十年台の農地改革で人手に渡ってしまったが、その地主が稲荷様のためとして分筆し、昭和三十九年に旧地に復した。(「埼玉の神社」より)


備後東香取神社の周辺図