東八幡神社。春日部市粕壁東の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

東八幡神社。元新宿八幡社地より移転

東八幡神社の概要

東八幡神社は、春日部市粕壁東にある八幡神社です。東八幡神社の創建年代等は不詳ながら、岩付城主太田氏の家臣関根図書助が創祀したとも、元弘年間(1331-1334)に宇佐八幡宮から分霊したとも伝えられ、元新宿八幡社地に鎮座していました。慶長年間(1596-1615)に日光街道が整備され粕壁宿が成立、当社も当地へ移転したといいます。

東八幡神社
東八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 松の樹稲荷神社、川久保雷電神社、弁天社、豊玉稲荷神社、天満宮、浅間神社、大杉神社、大国主神社
祭日 -
住所 春日部市粕壁東5597
備考 -



東八幡神社の由緒

東八幡神社の創建年代等は不詳ながら、岩付城主太田氏の家臣関根図書助が創祀したとも、元弘年間(1331-1334)に宇佐八幡宮から分霊したとも伝えられ、元新宿八幡社地に鎮座していました。慶長年間(1596-1615)に日光街道が整備され粕壁宿が成立、当社も当地へ移転したといいます。

境内掲示による東八幡神社の由緒

東八幡神社
当神社は誉田別尊(第十五代応神天皇)をお祭りする春日部市内有数の古社で現在の氏子区域(旧町名)は元町、本町、三枚橋、一宮町、大砂、東町、川久保及び太田の八町内であります。東八幡神社は、古き昔から氏子の人々を始めまして近郷近在の多くの人達から下の八幡様の愛称で親しまれ篤い崇敬を集めてまいりました。
口碑によると京都「男山」に鎮座する、「石清水八幡宮」から分霊を勧請し、氏神としてお祭りしたものと伝えられており、家内安全、商売繁昌、五穀豊穣、厄除開運の神として広大なご神徳を輝かしめております。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による東八幡神社の由緒

(埼玉郡粕壁宿)
八幡社二宇
眞蔵院持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による東八幡神社の由緒

八幡神社<春日部市粕壁東二-一六-五七(粕壁町字浜川戸)>
当地の辺りは、中世には下総国下河辺荘に属し、春日部郷と称していた。また、鎌倉期から南北朝期にかけて、春日部氏が館を構え、その本貫地としていた。
戦国期には、六斎市が開かれていたことが知られ、既に地域の中心地であったことがわかる。
このころ、当地は岩付城主太田氏の支配下にあった。口碑によると、当社はその家臣関根図書助が石清水八幡宮から勧請したもので、社地の選定に当たっては、愛用の強弓で矢を放ち、その落下地点の元新宿(現春日部市南三丁目)に祀ったという。なお『明細帳』には、元弘年間(一三三一-三四)に宇佐八幡宮から分霊したという別の伝えが載せられている。
慶長年間(一五九六-一六一五)には、後に日光街道となる奥州道が整備され、粕壁宿が成立した。これに伴い、人々は次第に宿へ転居と始めたため、当社も北に一・三キロメートルほどの所に位置する現地へ移転したという。『明細帳』には「寛永十四丑年(一六三七)再建」とあるが、あるいは、この時に遷座したものであろうか。また、元新宿の八幡神社の南に、別当を務めていた真言宗真蔵院があったが、当社と共に西隣へ移った。
この寺も関根図書助の開基であるという。
なお元新宿には、その後も境内・社殿が残され、今に至っている。(「埼玉の神社」より)


東八幡神社の周辺図