元新宿八幡社。関根家図書助が勧請
元新宿八幡社の概要
元新宿八幡社は、春日部市南にある八幡社です。元新宿八幡社は、北条氏の家臣関根家図書助が、代々崇敬していた宇佐八幡宮の分霊を勧請して天正2年(1574)に建立したと伝えられます。江戸初期に粕壁宿が日光街道の宿駅として定められた際、当地の住民の多くが新宿組に転居した際、八幡神社も東八幡神社地へ移転したものの、当地には八幡社がそのまま残され祀られています。
社号 | 八幡社 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | 息長足姫尊、武内宿祢命 |
境内社 | 稲荷大明神 |
祭日 | - |
住所 | 春日部市南3-18-17 |
備考 | - |
元新宿八幡社の由緒
元新宿八幡社は、北条氏の家臣関根家図書助が、代々崇敬していた宇佐八幡宮の分霊を勧請して天正2年(1574)に建立したと伝えられます。江戸初期に粕壁宿が日光街道の宿駅として定められた際、当地の住民の多くが新宿組に転居した際、八幡神社も東八幡神社地へ移転したものの、当地には八幡社がそのまま残され祀られています。
新編武蔵風土記稿による元新宿八幡社の由緒
(埼玉郡粕壁宿)
八幡社二宇
眞蔵院持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による元新宿八幡社の由緒
八幡社<春日部市南三-一八-一七(粕壁町字元新宿)>
旧粕壁宿には三社の八幡神社が祀られている。当社はそのうちの一社で、「元新宿の八幡様」と呼ばれている。
口碑によれば、正親町天皇の御代、天正二年(一五七四)四月に北条氏の家臣関根家が常に信仰していた宇佐八幡宮の分霊を勧請して建立したことに始まり、神霊を迎えるに当って、関根図書助が強弓と放ち、その矢の落ちた所こそ神慮に叶った所であるとして、この地を選んだという。
関根図書助については『風土記稿』粕壁宿の旧家者九左衛門の条に、先祖は某郡内関根村を領したことから関根を称し、その後、真蔵宗氏なる者が兵乱を避けて当所に来て隠棲した。宗氏の没後、その子が父の菩提のため、墓所に庵室を結んで真蔵庵と名付け、後に真蔵院として一寺となった。真蔵宗氏から数代を経て元亀四年(一五七三)に関根図書助が「糟ケ辺」の合戦で戦功を立てたことにより、北条氏繁から感状を賜ったという。関根村とは、現在の行田市関根である。また、同書に当社は「八幡社二宇 真蔵院持」とあり、真蔵院持の一社として記されている。また、もう一社は、江戸初期に粕壁宿が日光街道の宿駅として定められ、字新宿(元新宿)の住民の多くが町並の新宿組に転居した際、そちらに祀られた八幡社(下の八幡様)である。当社の南にあった真蔵院も同時期にこの八幡社の隣接地に移転した。(「埼玉の神社」より)
元新宿八幡社の周辺図