猫の足あとによる埼玉県寺社案内

鷺神社。春日部市小渕の神社

鷺神社の概要

鷺神社は、春日部市小渕にある神社です。鷺神社は小渕の鎮守鷺神社と、本郷鷲神社との二間社で、拝殿は中央を板壁で仕切り、向かって左が春日部市小淵の鷺神社、右が杉戸町の本郷鷲神社となっています。鷺神社の創建年代等は不詳ながら、百余尊権現社と称して当地に鎮座、文明3年(1471)に再建されたといい、小渕村の鎮守として祀られていたものを明治維新後鷺神社と改称しています。一方、鷲神社の創建年代等は不詳ながら、元和4年(1618)に寂した權大僧都龍大が創建した嶽之坊が別当を務め、本郷村の鎮守として祀られていたといいます。この両社がいつから一宮二社の形態になったのかは不明ながら、少なくとも嘉永6年(1853)には、一宮二社の形態になっていたといいます。鷺神社は、明治4年には村社に列格、明治44年に字内田の無格社神明社と境内社大杉神社を合祀しています。(本郷鷲神社は、別法人です)

鷺神社
鷺神社の概要
社号 鷺神社
祭神 経津主命、須佐之男命、宇迦之御魂命
相殿 -
境内社 天神・八坂社、神明社、山王、疱瘡
祭日 大杉様4月第2日曜、秋祭り10月15日
住所 春日部市小渕2150
備考 -



鷺神社の由緒

鷺神社は小渕の鎮守鷺神社と、本郷鷲神社との二間社で、拝殿は中央を板壁で仕切り、向かって左が春日部市小淵の鷺神社、右が杉戸町の本郷鷲神社となっています。鷺神社の創建年代等は不詳ながら、百余尊権現社と称して当地に鎮座、文明3年(1471)に再建されたといい、小渕村の鎮守として祀られていたものを明治維新後鷺神社と改称しています。一方、鷲神社の創建年代等は不詳ながら、元和4年(1618)に寂した權大僧都龍大が創建した嶽之坊が別当を務め、本郷村の鎮守として祀られていたといいます。この両社がいつから一宮二社の形態になったのかは不明ながら、少なくとも嘉永6年(1853)には、一宮二社の形態になっていたといいます。鷺神社は、明治4年には村社に列格、明治44年に字内田の無格社神明社と境内社大杉神社を合祀しています。(本郷鷲神社は、別法人です)

新編武蔵風土記稿による鷺神社の由緒

(葛飾郡小淵村)
百餘尊權現社
村の鎮守なり、祭神詳ならず、別當宮本院、本山派修験、村内不動院配下、信濃國本田善光の後裔本田光浄開基し、其後文明三年本田四郎三郎正浄と云者、祖先の先蹤をしたひて住職となり、再建せし由、縁起に載たり、按に本田善光がこと、もとより慥ならざることは世の知る處なれど、今姑縁起の儘を記す、 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による鷺神社の由緒

鷺神社<春日部市小淵二一五〇(小淵字山下)>
当社の本殿は二間社で、拝殿は中央を板壁で仕切り、向かって左が春日部市小淵の鷺神社、右が杉戸町本郷の鷲神社となっている珍しい形式である。両社の境内も中央の参道を境に分かれている。
『風土記稿』小淵村の項に「百余尊権現社 村の鎮守なり、祭神詳ならず」とあるのが当社である。更に、別当の宮本院については「本山派修験、村内不動院配下、信濃国本田善光の後裔本田光浄開基し、其後文明三年(一四七一)本田四郎三郎正浄と云者、祖先の先蹤をしたひて住職となり、再建せし由、縁起に載たり(以下略)」とある。一方、本郷村の鷲神社は「鷲明神社 村の鎮守なり、別当獄之坊小淵村不動院の配下」とある。
貞享五年(一六八八)の「寺社奉行裁許状」(浄春院文書)によると、浄春院と不動院との間で浄春院境内に混在する百余尊権現と、本郷村の鎮守鷲明神社の支配をめぐり争論が起き、不動院配下の修験が従来より別当をしていたとし、両社の不動院による支配が確認されている。不動院配下の宮本院の裔は宮本秀夫家で一九代目を数える。
当社は明治初年の神仏分離を機に社名を鷺神社に改め、明治四年に村社となった。同四十四年には字内田の無格社神明社と境内社大杉神社を合祀した。なお、『風土記稿』には百余尊権現の縁起に記される村名の由来を載せているが、現在この縁起の所在は不明である。(「埼玉の神社」より)


鷺神社の周辺図