大枝香取神社。春日部市大枝の神社

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大枝香取神社。春日部市大枝の神社

大枝香取神社の概要

大枝香取神社は、春日部市大枝にある神社です。大枝香取神社の創建年代等は不詳ながら、歓喜院の寺鎮守として祀られ、江戸期には大枝村の鎮守となっていました。明治42年字池端の村社浅間神社を合併、字屋敷前の無格社第六天神、字井堀外の無格社雷電神社を合祀し、村社に列格していました。

大枝香取神社
大枝香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 天王宮、牛頭天王、天神宮
祭日 例祭4月21日に近い日曜日
住所 春日部市大枝140
備考 -



大枝香取神社の由緒

大枝香取神社の創建年代等は不詳ながら、歓喜院の寺鎮守として祀られ、江戸期には大枝村の鎮守となっていました。明治42年字池端の村社浅間神社を合併、字屋敷前の無格社第六天神、字井堀外の無格社雷電神社を合祀し、村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による大枝香取神社の由緒

(埼玉郡大枝村)
浅間社
歓喜院の持、下二社同じ、
雷電社
第六天社
--
歓喜院
新義眞言宗、蓮華山禅鳳寺と云、本尊十一面觀音を安す、江戸大塚護持院の末、
鐘楼。天明年中鑄造の鐘をかく、
香取社。村の鎮守とす
不動堂(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大枝香取神社の由緒

香取神社<春日部市大枝七七四(大枝字屋敷前)>
当社の鎮座する大枝は、春日部市の南東部に位置し、南と東は越谷市に接する。地名の由来は、現在一キロメートルほど東を流れる古利根川が、往古は当地のあたりを乱流していたと考えられ、このことにちなむ大きな川を示す「大江」の転訛したものであるという。
当社は、大枝の北端、地内中央を南北に貫通する国道四号(旧日光街道)沿いに鎮座する。隣接して「武里観音」の名で知られる歓喜院がある。『風土記稿』には、「歓喜院 新義真言宗、蓮華山禅鳳寺と云、本尊十一面観音を安ず、江戸大塚護持院の末、鐘楼天明年中(一七八一-八九)鋳造の鐘をかく、香取社 村の鎮守とす 不動堂」と記され、当社は本来、歓喜院の寺鎮守として祀られたものが、村の鎮守にもなっていたことがわかる。
なお、本殿の裏側には、文化十一年(一八一四)の棟札が三枚打ち付けられており、このうち一枚には「(梵字)奉造立香取大明神内神壹宇、文化十一甲戌載正月廿三日、現住心寂代敬白」の墨書銘があり、本殿の再建に歓喜院がかかわっていた様子がうかがえる。
明治初年の神仏分離政策により、当社は歓喜院から境内を分けて独立した。分離当時の神職は、内陣の白幣が奉安される案の裏に「当社神官大畑村新井清正 明治十四年辰三月廿一日」とあることから、隣村大畑村の新井氏が奉仕していたことがわかる。(「埼玉の神社」より)


大枝香取神社の周辺図