今福平野神社。北条氏康が牛頭天王を祀る
今福平野神社の概要
今福平野神社は、川越市今福にある平野神社です。今福平野神社は、川越夜戦に際して北条氏康が自軍のはやり病を平癒するために天文15年(1546)牛頭天王を祀ったと伝えられます。神体は今福菅原神社に合祀されていますが、社殿は残され、7月14日からの祭礼では神輿が当社へ遷されて執行されるそうです。
社号 | 平野神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 天王様7月14~16日 |
住所 | 川越市今福 |
備考 | - |
今福平野神社の由緒
今福平野神社は、川越夜戦に際して北条氏康が自軍のはやり病を平癒するために天文15年(1546)牛頭天王を祀ったと伝えられます。神体は今福菅原神社に合祀されていますが、社殿は残され、7月14日からの祭礼では神輿が当社へ遷されて執行されるそうです。また「埼玉ふるさと散歩 川越市」では川越藩主松平伊豆守信綱より八畝歩(約8ha)の面除地を万治3年(1660)に与えられたと記載していますが、現社地か或いは、(写しが勧請された)中台八雲神社なのか判然としません。
新編武蔵風土記稿による今福平野神社の由緒
(今福村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による今福平野神社の由緒
菅原神社<川越市今福六七三(今福字北野)>
また、天文年中、川越夜戦の折北条氏康が自軍のはやり病を平癒するために祀った平野神社が本殿に合祀されている。(「埼玉の神社」より)
「入間郡誌」による今福平野神社の由緒
平野神社
宿の東南、原の平野區にあり。境内狭けれども、老梅三四本、檜樅之に交はり、古色深き一小社也。拝殿荒廢し、土地低平陰湿なるも、寧ろ周圍に適合せり。拝殿の後、小丘の上、一小石宮を置き、牛頭天王を祀れり、傳へ云ふ。往昔此附近の地、之を所有するものに必ず災害あり。之を以て人々相計り、遂に牛頭天王を此地に祭り、附近一帯を社領となせり。其後戰争あり(年代は勿論茫漠)疫病流行して、戰士倒るゝもの多かりしかば、此社に祈願して、難を免るゝを得たりと。抑々此社何れかの頃に設けられたるか、今知るに由なし。今の社殿は元治慶應の頃造營せられしものと覺し。社領も今や多くは共有地となり耕作に附せられ、區名を採て平野神社と名く。但一般には尚「天王様」と稱せらる。
平野神社の南方陣所蹟は砂久保分に入れり。松一本特に抜んずるを見る。(「入間郡誌」より)
今福平野神社の周辺図