法城寺。川越市的場にある曹洞宗寺院
法城寺の概要
曹洞宗寺院の法城寺は、的場山と号します。法城寺の創建年代等は不詳ながら、かつては三芳野塚の傍にあり、三芳野山と号していたといいます。その後、神山七左衛門(寛文8年1668年没)が開基となり、長福寺三世撫州舜道(正保3年1647年寂)が中興開山、三芳野天神社も同時に当地へ移したといいます。
山号 | 的場山 |
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院号 | - |
寺号 | 法城寺 |
住所 | 川越市的場1902 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | みよしの幼稚園 |
法城寺の縁起
法城寺の創建年代等は不詳ながら、かつては三芳野塚の傍にあり、三芳野山と号していたといいます。その後、神山七左衛門(寛文8年1668年没)が開基となり、長福寺三世撫州舜道(正保3年1647年寂)が中興開山、三芳野天神社も同時に当地へ移したといいます。
新編武蔵風土記稿による法城寺の縁起
(寺的場村)法城寺
的場山と號す、曹洞宗、鯨井村長福寺末、此寺往古三芳野塚の傍にありて、三芳野山寶常寺と唱へしに、何の頃よりか山號を改め、寺號を書替しと云、起立の年詳ならず、中興開山撫州舜道、正保三年七月廿五日寂す、開基は神山七左衛門なり、寛文八年九月四日歿す、本尊は正観音を安ず、縁起の略に曰、法成寺者、則三芳野天神・若宮八幡宮兩宮之別當、而古代三芳野塚麓有之、幾年歴事不審、上戸大道寺家落城之時及廃壊事久、略本寺長福寺三世、撫州和尚當寺中興、則今開山也、此時神山七左衛門開基建立、其時三芳野塚之天満宮境内移、寺地四段四畝二歩、天神宮地一段二畝、若宮八幡宮地五畝六歩、到今御除地也、當所本名三芳野也、大道寺家上戸居城之頃、當地弓鐡炮武術之稽古場也、故里人皆的場云、依之後的場村成、三芳野塚麓池有、天神御手洗是三芳野初雁池也、謂雁此國初来、池上三度飛回初鳴云傳、又此池常櫻花水底浮故、是櫻池共云傳也、(新編武蔵風土記稿より)
法城寺の周辺図