猫の足あとによる埼玉県寺社案内

八幡木八幡神社。川口市八幡木の神社

八幡木八幡神社の概要

八幡木八幡神社は、川口市八幡木にある八幡神社です。八幡木八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地の旧地名中居は古くより文書に記載されており、中世には既に開発されていたことから、創建年代も中世に遡るのではないかともいいます。その後中居は小淵村から分村、江戸期には中居村の鎮守社として祀られ、明治40年には字上新田の無格社稲荷社、大字前田の村社であった十二所神社(昭和26年復祀)を合祀しています。

八幡木八幡神社
八幡木八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 阿夫利神社、厳島神社、三峰神社
祭日 例大祭9月15日
住所 川口市八幡木1-25-2
備考 -



八幡木八幡神社の由緒

八幡木八幡神社の創建年代等は不詳ながら、当地の旧地名中居は古くより文書に記載されており、中世には既に開発されていたことから、創建年代も中世に遡るのではないかともいいます。その後中居は小淵村から分村、江戸期には中居村の鎮守社として祀られ、明治40年には字上新田の無格社稲荷社、大字前田の村社であった十二所神社(昭和26年復祀)を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による八幡木八幡神社の由緒

(中居村)
八幡社
村の鎮守にして小淵村源永寺持なり。当社の背後艮の方に竹藪あり。中に一株の木あり。其樹下にに石櫃ありて、中に太田道灌が秘蔵の武器を納め置しよし、これに手を触れば必祟ありとて、土人恐懼して近づかざれば慥なることは知らずと云。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による八幡木八幡神社の由緒

八幡神社(鳩ヶ谷市八幡木一-二五-二<三ツ和字八幡木>)
中居の鎮守であった当社の周辺は、今ではすっかり住宅に取り巻かれてしまったが、かつては一面の水田で、大樹が茂る当社の杜は、遠望するとその中に浮かぶ島のように見えた。八幡木の地名は、このような当社の社にちなむものといわれており、元来は小字名の一つであったが、昭和六十二年の区画整理によって町名になった。
中居の地名は既に戦国期に見え、元亀三年(一五七二)正月九日に宮城泰業に宛た北条氏印判状の中に「十三貫文小淵之内中居」とある。当時、中居は小淵に属していたことが知られる。現在小淵村にある氷川神社は文明年間(一四六九-八七)に中居村より移したと伝えられ、往古より小淵・中居・上新田三か村の鎮守であった。この伝承は小淵村の中でも中居の地が古くから開けていたことをうかがわせ、当社の創建も中世までさかのぼることが推測される。
当社は『風土記稿』中居村の項に「八幡社 村の鎮守にて小淵村源永寺持なり、当社の背後に石櫃ありて、中に太田道濯が秘蔵の武器を納め置しよし、これに手を触れば必崇ありとて、土人恐懼して近づかざれば慥なることは知らずと云」と記されている。この武器を埋めた伝えは、当社が戦国期の武将によって勧請されたことを物語るのであろうか。なお、別当の真言宗源永寺は、古くは善光寺(現川口市) 周辺の河川敷にあったが、江戸初期に小淵村へ移したという。(埼玉県神社庁「埼玉の神社より)


八幡木八幡神社所蔵の文化財

  • 絵馬(川口市指定有形民俗文化財)

絵馬

「武者絵図」
この絵馬は、宝暦十一年(一七六一)に中居村上新田の惣若者中から奉納された鳩ヶ谷に現存する最古の絵馬です。図柄は、たなびく雲の下、右側に三人の武者がおり、弓、太刀、幟をそれぞれ持ち、左側の一人に対し、何かを問い質しているものと推定されます。
「祭礼絵図」
嘉永七年(一八五四)に奉納されたこの絵馬は、祭りの様子が生き生きと描かれています。祭りは旧暦の九月十五日に行われ、山車の上では囃子が奏されています。奉納者は村の若者中で、祭りや民俗芸能をとおして江戸時代の人々の生活を知ることのできる貴重な資料です。
「曳き馬絵図」
慶応三年(一八六七)に奉納されたこの絵馬は、ガラスに直接彩色を施す大変貴重なもので、奉納額には江戸本郷四丁目中嶋屋長右衛門妻こ代とあり、八幡木から江戸へ嫁いだ人が実家のある村の鎮守の八幡神社へ奉納したものと考えられます。(川口市教育委員会掲示より)

八幡木八幡神社の周辺図