十二所神社。川口市南鳩ヶ谷の神社

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十二所神社。旧称十二所権現社、旧前田村鎮守

十二所神社の概要

十二所神社は、川口市南鳩ヶ谷にある神社です。十二所神社の創建年代等は不詳ながら、かつて隣接地にあった宝林寺の境内社として十二所権現社と称し創建、この十二所権現社は、宝林寺の本寺である宝厳院の薬師堂に祀られていた十二神社を勧請したのではないかといいます。江戸期には前田村の鎮守として祀られ、明治45年に八幡木八幡神社に合祀されたものの、昭和26年復祀したといいます。

十二所神社
十二所神社の概要
社号 十二所神社
祭神 天神七代地神五代
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 川口市南鳩ヶ谷5-31-1
備考 -



十二所神社の由緒

十二所神社の創建年代等は不詳ながら、かつて隣接地にあった宝林寺の境内社として十二所権現社と称し創建、この十二所権現社は、宝林寺の本寺である宝厳院の薬師堂に祀られていた十二神社を勧請したのではないかといいます。江戸期には前田村の鎮守として祀られ、明治45年に八幡木八幡神社に合祀されたものの、昭和26年復祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による十二所神社の由緒

(前田村)
山王二社
荒神社
何れも村民持なり。
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宝林寺
新義真言宗、慈林村宝厳院の末なり。神元山と号す。本尊薬師を安ず。
十二所権現社
村の鎮守なり。元は樋爪村の氷川(朝日氷川神社)を鎮守とせりと云。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による十二所神社の由緒

十二所神社(鳩ヶ谷市南五-三一-一<前田字畑田>)
前田の地名は室町期に見え、地内の阿弥陀堂旧蔵の鰐口銘に「奉治武州下足立十二月田郷前田阿弥陀宝前敬白応仁三年己丑(一四六九)七月十一日願主西誓」とある。
『風土記稿』前田村の項には、真言宗宝林寺の境内社として「十二所権現社 村の鎮守なり、元は樋爪村の氷川を鎮守とせりと云」とある。宝林寺の本寺は慈林村(川口市安行慈林)の宝厳院であった。
『風土記稿』慈林村の項を見ると、宝厳院が別当を務めた隣接の薬師堂の境内に十二神社を祀っていたことがわかる。当社は恐らく宝林寺の法印が本寺の宝厳院を介してこの十二神社の分霊を祀ったことに始まるのであろう。その社名から熊野修験の活動が勧請の背景にあったことが推測される。ちなみに戦国期に作成されたと推定される「市場之祭文写」に「武蔵足立郡鳩谷之里市祭成之」と見え、当時鳩谷郷の里で市を開くに当たって、修験が市の繁栄を祈願したことがわかる。
当社には元禄十三年(一七〇〇)の社殿再建、享保十一年(一七二六)の鳥居造立、嘉永二年(一八四九)の鳥居造立を記した棟札が残っている。嘉永二年の棟札には別当宝林寺のほかに「宝厳院法印明随」の名も見える。
明治四十五年に大字大幡木の八幡神社に合祀されたが、幸い社殿はそのまま残され、昭和二十六年に氏子の総意により復祀が行われた。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


十二所神社の周辺図