東沼神社。川口市差間の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

東沼神社。旧称浅間社、近隣の諸社を合祀

東沼神社の概要

東沼神社は、川口市差間にある神社です。東沼神社の創建年代等は不詳ながら、当社境内の堂塚から嘉暦3年(1328)銘の板碑などが出土していることから、何らかの社寺があり祀られていたのではないかと推定されます。江戸期には浅間社と称し、差間村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治41年には差間字中の稲荷社と菅原社、間宮字宮前の大白天神社間宮字氷川下の氷川社、北原字野伝場の稲荷社と同境内社の天神社、北原字北谷津の稲荷社の七社を合祀、当地が見沼田圃の東に位置することから東沼神社と改称しています。

東沼神社
東沼神社の概要
社号 東沼神社
祭神 木花咲耶姫命、素戔嗚命、倉稲魂命、菅原道真公
相殿 -
境内社 御嶽社
祭日 浅間様7月1日、例祭10月8日
住所 川口市差間2-15-45
備考 -



東沼神社の由緒

東沼神社の創建年代等は不詳ながら、当社境内の堂塚から嘉暦3年(1328)銘の板碑などが出土していることから、何らかの社寺があり祀られていたのではないかと推定されます。江戸期には浅間社と称し、差間村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治41年には差間字中の稲荷社と菅原社、間宮字宮前の大白天神社間宮字氷川下の氷川社、北原字野伝場の稲荷社と同境内社の天神社、北原字北谷津の稲荷社の七社を合祀、当地が見沼田圃の東に位置することから東沼神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による東沼神社の由緒

(差間村)
浅間社
村ノ鎮守なり、興照寺持、下同じ
稲荷社
天神社(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による東沼神社の由緒

東沼神社(川口市差間二-一五-四五<差間字中>)
差間の地は、大宮台地の南端部に位置し、台地を刻む谷が幾筋も入り組んでいるため、まるで開いた手の指のような形になっている。差間の地名も、古くは指間と書いたようで、この地形から付けられたものであろう。当社はこの指先のような台地の先端部に鎮座している。境内の堂塚と呼ばれた場所からは嘉暦三年(一三二八)をはじめとする数基の板碑が出土していることから、当地の開発は中世にさかのぼると思われる。
『風土記稿』によると「浅間社村の鎮守なり、輿照寺持」とあり江戸期には、当社が「浅間社」と呼ばれ、真言宗の浅間山無量院興照寺が別当として社務に当たっていたことがわかる。興照寺は現在、当社の東方に建っているが、明治初年の神仏分離までは、境内の堂塚と呼ばれている場所にあった。
明治六年(一八七三)には村社となった。その後、明治二十二年(一八八九)に差間村は大門村の大字に編入され、同四十年には大門村内の大字差間字中の稲荷社と菅原社、大字間宮字宮前の大白天神社と同大字字氷川下の氷川社、大字北原字野伝場の稲荷社と同境内社の天神社、同大字字北谷津の稲荷社の七社を合祀した。これを機に、この辺りが広大な見沼田圃の東に位置することから、社号を東沼神社と改め、現在に至っている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


東沼神社所蔵の文化財

  • 絵馬(川口市指定有形文化財)

東沼神社の周辺図