正覚寺。武州川口七福神の布袋尊
正覚寺の概要
曹洞宗寺院の正覚寺は、永喜山と号します。正覚寺は、青松寺六世久室(天正13年1585年寂)が開山、下総国府台の合戦で戦死した平柳蔵人(永禄7年1564年寂)が開基となり創建したといいます。武州川口七福神の布袋尊が安置されています。
山号 | 永喜山 |
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院号 | - |
寺号 | 正覚寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 川口市元郷3-1-14 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 武州川口七福神の布袋尊 |
正覚寺の縁起
正覚寺は、青松寺六世久室(天正13年1585年寂)が開山、下総国府台の合戦で戦死した平柳蔵人(永禄7年1564年寂)が開基となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による正覚寺の縁起
(元郷村)正覚寺
曹洞宗、江戸貝塚青松寺末、永喜山と号す。本尊三尊の弥陀を安ず。開山は則本寺六世の僧にて久室と呼べり。天正13年6月25日寂す。開基は平柳蔵人なり。法謚を柳国院覚相永正居士と号す。永禄7年正月8日、下総国府台にて討死せりと云。今按に領内領家村実相寺の過去帳に、永禄7甲子正月8日鴻台一戦、従辰刻至申刻、千余人に及び討死、南方には遠山父子、房州には正木平七、其外長南口子数百人、平柳蔵人・篠田雅楽介討死と見えたり。しかれば、其頃の戦記に蔵人が事見えざれば聞えたる士にはあらざるべし。又同過去帳に平柳入道道叟永正2乙丑と載せ、且当寺の過去帳にも柳正院歌覚永喜居士、永禄元年正月18日と記せり。此人はかの蔵人の父と覚し、これにつきても平柳氏の当村に久しく住せしこと知るべし。
天神社、稲荷社。
平柳蔵人墓。境内西南の方にあり。回り7間程の小笹繁れる地なり。三抱許の古松をしるしとす。中古ここを畑にせんと計りしに、祟ありて其事止たりと云傳ふ。(新編武蔵風土記稿より)
正覚寺の周辺図