吹塚氷川神社。比企郡川島町吹塚の神社

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吹塚氷川神社。当地名の発祥となった塚上に鎮座

吹塚氷川神社の概要

吹塚氷川神社は、比企郡川島町吹塚にある神社です。吹塚氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地名の発祥となった塚上に鎮座、大正15年までは塚上に御嶽神社が、麓に当社が祀られていたといいます。江戸期には吹塚村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、大正4年に神明社を、昭和3年に熊野社とその境内社稲荷社を合祀しています。

吹塚氷川神社
吹塚氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 御嶽社、熊野社、稲荷社
祭日 春祭り4月4日、例祭7月10日、秋祭り12月4日
住所 比企郡川島町吹塚205
備考 -



吹塚氷川神社の由緒

吹塚氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地名の発祥となった塚上に鎮座、大正15年までは塚上に御嶽神社が、麓に当社が祀られていたといいます。江戸期には吹塚村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、大正4年に神明社を、昭和3年に熊野社とその境内社稲荷社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による吹塚氷川神社の由緒

(吹塚村)
氷川社
村の鎮守なり、花蔵院持、
---
神明社
大乗院持、
---
熊野社
天神社
八幡社
以上三社は西見寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による吹塚氷川神社の由緒

氷川神社<川島町吹塚二〇五(吹塚字中町)>
川島町は四面を川に囲まれ、古くから水害に悩まされてきた。いったん越辺川や都幾川が氾濫すると、この辺りは一面海のようになり、船で行き来するよりほかに交通の手段がなく、わずかな高台がその中継所となった。町内にある吹塚・虫塚・東大塚などの地名は、このような大水の際に目標となった高台を示している。
当社は吹塚の地名の由来となった塚の上に鎮座している。この塚は高さ五メートル・周囲四〇メートルほどの大きさで、氏子からは古墳であるとも、祭壇であるとも語られている。元来は、この頂上に御嶽神社を祀り、麓に氷川神社を祀っていたが、大正十五年に氷川神社の本殿を麓から頂上に引き上げて幣殿・拝殿を新築し、現在のような形となった。
恐らく、村を開くに当たり、古くから神聖祝されていた塚の傍らに武蔵国一の宮氷川神社を治水の神として勧請し、後に木曾御獄信仰の流布に伴って塚上に御獄神社が祀られたものであろう。御獄神社の石造物に見える「江戸行者寛明院」「江戸永壽講」「慶応一ニ年(一八六七)」などの銘文から、江戸の修行者による布教がその創建の背景にあったことがうかがえる。
『風土記稿』には「氷川社村の鎮守なり、花蔵院持」とある。明治四年に村社となった当社は、大正四年に無格社神明社を合祀し、更に昭和三年には無格社熊野社とその境内社稲荷社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


吹塚氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)