一本木神明神社。比企郡川島町一本木の神社

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一本木神明神社。慶長19年創建

一本木神明神社の概要

一本木神明神社は、比企郡川島町一本木にある神社です。一本木神明神社は、託宣により慶長19年(1614)に創建したといいます。江戸期には一本木村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、昭和初期に富士嶽・小御嶽神社を境内へ遷座したといいます。

一本木神明神社
一本木神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 天照大神
相殿 -
境内社 御嶽社、八幡・愛宕・稲荷・天神合殿、富士嶽・小御嶽神社
祭日 春祈禱4月21日、秋祭礼10月21日
住所 比企郡川島町一本木83
備考 -



一本木神明神社の由緒

一本木神明神社は、託宣により慶長19年(1614)に創建したといいます。江戸期には一本木村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格、昭和初期に富士嶽・小御嶽神社を境内へ遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による一本木神明神社の由緒

(一本木村)
神明社
村の鎮守なり、圓泉寺持、
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八幡社
當社も圓泉寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による一本木神明神社の由緒

神明神社<川島町一本木八三(一本木字神明町)>
一本木の地名は、村内を東西に通過する街道の村外れ(北園部との境)の道脇にかつてそびえていた榎の大木に由来するという。
この街道は、大宮から上尾の平方を経て東松山に至る古い道で、当社の鳥居も街道に面しており、ここから参道が始まる。また、古くからの集落も街道に沿ってある。
当社の創建は江戸初期のことであると伝えられる。その背景には、慶長十九年(一六一四)に大神宮様が同じ伊勢国の野上山に飛び移ったという託宣を機に諸国に流行した伊勢踊りの影響が考えられよう。
『風土記稿』一本木村の項には「神明社村の鎮守なり、円泉寺持」と載せられている。これにみえる円泉寺は、入間郡今市村法思寺門徒で、慈眼山と号する真言宗の寺院であり、当社に隣り合って本堂を構えている。
神仏分離により円泉寺の手を離れた当社は、明治四年に村社となった。同三十九年に履屋・拝殿・幣殿を再建し、昭和十二年には本殿を再建した。
なお、現在境内にある富士塚(「富士嶽神社」「一本木村社中」と刻む石碑が建つ)は、元来は氏子の松本政雄家の敷地内に富士向き(東向き)に祀られていたものが、昭和の初めごろに移されてきたといわれている。(「埼玉の神社」より)


一本木神明神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)