三保谷宿氷川神社。比企郡川島町三保谷宿の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

三保谷宿氷川神社。武蔵国一の宮の氷川神社の分霊を勧請

三保谷宿氷川神社の概要

三保谷宿氷川神社は、比企郡川島町三保谷宿にある神社です。三保谷宿氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地は、『平家物語』の屋島合戦に登場する美尾屋十郎広徳の本拠地で、牛ヶ谷戸・山ヶ谷戸・表村・上下新堀・吉原・紫竹・三保谷の9ヶ村を三保谷郷と称され、当地はその本郷地とされています。当社は、武蔵国一の宮氷川神社を勧請して創建、地名も本社に倣い大宮と名付けられ、三保谷村の鎮守として祀られてきました。

三保谷宿氷川神社
三保谷宿氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 浅間神社、六社合殿社(熊野・稲荷・愛宕・天神・八幡・三峰)
祭日 祈年祭2月24日、例祭4月10日、天王様7月15日前後、灯籠祭9月1日、秋祭り11月30日
住所 比企郡川島町三保谷宿572
備考 -



三保谷宿氷川神社の由緒

三保谷宿氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地は、『平家物語』の屋島合戦に登場する美尾屋十郎広徳の本拠地で、牛ヶ谷戸・山ヶ谷戸・表村・上下新堀・吉原・紫竹・三保谷の9ヶ村を三保谷郷と称され、当地はその本郷地とされています。当社は、武蔵国一の宮氷川神社を勧請して創建、地名も本社に倣い大宮と名付けられ、三保谷村の鎮守として祀られてきました。

新編武蔵風土記稿による三保谷宿氷川神社の由緒

(三保谷村)
氷川社
村の鎮守なり、南光院の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三保谷宿氷川神社の由緒

氷川神社<川島町三保谷宿五七二(三保ノ谷字大宮)>
三保谷宿は、室町期から戦国期に見える三保谷郷の本郷の地といわれている。『平家物語』寿永四年(一一八五)二月十八日の屋島合戦に見える美尾屋十郎広徳の本拠地で、美尾屋氏の居館は現在の大字表にあり、広徳寺が菩提所であるという。
当社の創建年代は明らかでないが、武蔵国一の宮氷川神社の分霊を祀ったものであると伝えている。また一の宮氷川神社が鎮まる大宮の地にちなんで当社の鎮座地の小名も大宮と呼ぶようになった。
社伝によると、元禄十年(一六九七)九月に社殿を再建し、内陣に金幣を納めた。その後、宝暦十年(一七六〇)十二月に神体に彩色を施し、安永五年(一八五八)七月に木殿を改築した。更に弘化四年(一八四七) 十一月には拝殿と覆屋を再建し、再び神体に彩色を施したという。
『風土記稿』には「氷川社村の鎮守なり、南光院の持」と載せられている。これに見える南光院は、当社の南西四〇〇Mほどの所にあった氷川山寂念寺と号する真言宗の寺院で、表村広徳寺の末寺であった。当社参道にある宝永三年(一七〇六)の石鳥居には「別当南光院第九世住法印隆善代」の名、が刻まれている。
なお、昭和三十三年に火災に遭い本殿と幣殿が焼失したが、翌三十四年には再建が果たされた。(「埼玉の神社」より)


三保谷宿氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)