鳥羽井新田天神神社。比企郡川島町鳥羽井新田の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

鳥羽井新田天神神社。寛永年間に鎮守として創建

鳥羽井新田天神神社の概要

鳥羽井新田天神神社は、比企郡川島町鳥羽井新田にある神社です。鳥羽井新田天神神社は、川越藩主松平信網の命により寛永年間(1624-1644)鳥羽井村を開発、開発に際して勧請したと伝えられ、境内には寛永年間銘の力石も残されています。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿には別当寺梅林寺の境内社として記載され、明治維新後の神仏分離に際し梅林寺は廃寺となっています。

鳥羽井新田天神神社
鳥羽井新田天神神社の概要
社号 天神神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 御嶽神社
祭日 祈年祭2月25日、春祭り4月25日、道饗祭7月11日、お灯籠8月15日、秋祭り11月25日
住所 比企郡川島町鳥羽井新田8
備考 -



鳥羽井新田天神神社の由緒

鳥羽井新田天神神社は、川越藩主松平信網の命により寛永年間(1624-1644)鳥羽井村を開発、開発に際して勧請したと伝えられ、境内には寛永年間銘の力石も残されています。江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿には別当寺梅林寺の境内社として記載され、明治維新後の神仏分離に際し梅林寺は廃寺となっています。

新編武蔵風土記稿による鳥羽井新田天神神社の由緒

(鳥羽井村)
梅林寺
新義眞言宗、横見群御所村息障院末、普門山感徳院と號す、本尊不動を安ず、
天神社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による鳥羽井新田天神神社の由緒

天神神社<川島町戸羽井新田八(鳥羽井新田字圦前)>
当地は小見野十か村の内の一つで、寛永年間(一六二四-四四)、川越藩主松平信網の命により、荒川の乱流により荒廃した鳥羽井村内の野地を開墾し、鳥羽井新田と名付け、慶安元年(一六四八)の検地から分村している。当社の創建は、恐らく村の成立とほぼ同じころなのであろう。旧家には、地主を務めた三角家をはじめ、岡村家(西ノ家)、長島家(東ノ家)、利根川家、比留間家、天沼家などがあり、これらは古くから当社の祭祀にかかわっている。
祭神は、『明細帳』に菅原道真公とある。社記には内陣に「尊像」(天満天神像)を安置すると載せる。
別当は、『風土記稿』に真言宗の普門山感徳院梅林寺と載る。
寺号は、梅を愛でた菅公の故事から名付けられたのであろう。江戸期、梅林寺は、当社と境内を共にし、同寺住僧が神前法楽を行っていた。境内には、法印墓石があり、文政十年(一八二七)慧鏡、天保六年(一八三五)賢弘などの名がみえる。
本殿は、千鳥破風付向拝唐破風の一間社流造りである。本殿壁面は極彩色の花鳥霊獣の彫刻が配され、大変見事である。これは、文政二年(一八一九)九月に再建されたもので、この時、遷宮導師は下八ツ林村の善福寺住僧が務めた。(「埼玉の神社」より)


鳥羽井新田天神神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)