下八ッ林天神社。威徳寺の守護神として鎮座
下八ッ林天神社の概要
下八ッ林天神社は、比企郡川島町下八ッ林にある神社です。下八ッ林天神社の創建年代等は不詳ながら、旧威徳寺境内に威徳寺の守護神として鎮座、旧威徳寺の創建年代等は不詳ながら、応永年間(1394-1428)には薬師如来像が奉安されていたものと推定されることから当社の創祀も室町時代に遡る可能性が推測されます。寛文元年(1661)に八ツ林が上・下に分村すると、下八ツ林村の鎮守として祀られ、明治維新後には威徳寺が廃寺となり、当社は明治4年村社に列格していました。
社号 | 天神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 愛宕社、左稲荷社 |
祭日 | 春祭り2月28日、例祭4月15日、お灯籠7月17日、秋祭り11月28日 |
住所 | 比企郡川島町下八ッ林236 |
備考 | - |
下八ッ林天神社の由緒
下八ッ林天神社の創建年代等は不詳ながら、旧威徳寺境内に威徳寺の守護神として鎮座、旧威徳寺の創建年代等は不詳ながら、応永年間(1394-1428)には薬師如来像が奉安されていたものと推定されることから当社の創祀も室町時代に遡る可能性が推測されます。寛文元年(1661)に八ツ林が上・下に分村すると、下八ツ林村の鎮守として祀られ、明治維新後には威徳寺が廃寺となり、当社は明治4年村社に列格していました。なお、文化10年(1822) から慶応元年(1865)にかけて威徳寺では寺子屋が開かれていたといいます。
新編武蔵風土記稿による下八ッ林天神社の由緒
(上八ツ林村)
天神社
村の鎮守なり、威徳寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による下八ッ林天神社の由緒
天神社<川島町下八ツ林二三六(下八ツ林字柳町)>
慶長十四年(一六〇九)九月の伊奈備前守忠次の検地では、八ツ林村は畑中・大塚を含む一村であった。その後、慶安年間(一六四八-五二)に八ツ林村・畑中村・大塚村に分村し、更に寛文年間(一六六一-七三)に八ツ林村が上下に分村した。
当社は、『風土記稿』下八ツ林村の項に「天神社村の鎮守なり、威徳寺持」とある。これに見える威徳寺は、かつて当社に隣接していた真言宗の寺院で、開基については明らかでないが、正保年間(一六四四-四八)の『武蔵田園簿』に寺領「二石五斗四升」が載る。
当初はこの威徳寺の境内に守護神として組られていたが、下八ツ林の地が一村として意識されるに伴い、村の鎮守としての信仰を集めるようになった。なお、かつての八ツ林村の総鎮守は、上八ツ林の氷川神社であった。
神仏分離により威徳寺の手から離れた当社は、古来、村の鎮守であったことから明治四年に村社となった。昭和十一年に社務所が新築され、同十五年には参宮記念として覆屋が建立された。
内陣には、二体の天満天神像が安置されている。このうちの大きい方の像は、近年、地内の善福寺の庫裏を建て直した際に発見されたもので、同寺が威徳寺の本寺に当たっていた縁で当社に納められた。(「埼玉の神社」より)
下八ッ林天神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)