大聖寺。比企郡川島町伊草にある真言宗智山派寺院

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大聖寺。比企能員守り本尊の千手観音像、中武蔵七十二薬師

大聖寺の概要

真言宗智山派寺院の大聖寺は、草芽山自性院と号します。大聖寺の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1573-1592)に東村山市宮鼻から当地へ移転したといいます。当寺中興の俊圓は文禄元年(1593)より住持を勤め、徳川家光の帰依を受け、家光は足繁く当寺を訪れたことから、御茶屋が用意されていたといいます。また、当寺の千手観音像は、比企能員の守り本尊と伝えられ、比企能員の末裔にあたる中山村の道作より、比企氏系図と共に寄納されたつ伝えられます。中武蔵七十二薬師29番、武州八十八所霊場52番です。

大聖寺本堂
大聖寺の概要
山号 草芽山
院号 自性院
寺号 大聖寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 比企郡川島町伊草161
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



大聖寺の縁起

大聖寺の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1573-1592)に東村山市宮鼻から当地へ移転したといいます。当寺中興の俊圓上人は文禄元年(1593)より住持を勤め、徳川家光の帰依を受け、家光は足繁く当寺を訪れたことから、御茶屋が用意されていたといいます。また、当寺の千手観音像は、比企能員の守り本尊と伝えられ、比企能員の末裔にあたる中山村の道作より、比企氏系図と共に寄納されたつ伝えられます。

新編武蔵風土記稿による大聖寺の縁起

(伊草宿)
大聖寺
藺草山自性院嶋之坊と號す、昔は草芽山と號せしが、何の頃の住僧か文字不雅なるをもて書改めしと云、新義眞言宗。入間郡石井村大智寺末、本尊大日の像を安ず、開闢の年代詳ならず、當寺は昔宮鼻村にありしが、天正年中當所へ移せり、中興俊圓文禄元年より住し、寛永十年十一月十四日化す、此僧高徳の聞えありて、大猷院殿御歸依ましまし此邊御遊獵の時しばしば渡御ありしにより、御茶屋を營せられ、御遊獵ごとに必御憩息ありしとなり、俊圓が書置し御成日記一冊あり、當時の御事跡想像すべきもの若干、條左に録せり、
一、元和九年十一月七日に、當将軍様川越を御成、云々十日伊草大聖寺江御成、十一日は奥留光福寺江御成云々
一、寛永元甲子十一月十一日に、川越江御成云々、同十四日大聖寺云々、
一、同二乙丑二月七日川越江御成云々、同十日大聖寺云々、
一、同三丙寅二月八日に御成、九日ハ御休息、十日は御城下、十一日は三保谷御機嫌能、三保谷殿之仔細御尋、此村小鍛冶有城歟、三保谷之石塔を取こにいたし、其罰にて女子さん病を請、口はしり男子ハ扨氣ちかひに成、それきりに而御沙汰なし、御服壹ツ碑下候、
一、同五年戊辰二月十三日御成云々、十六日ハ大聖寺にて、十八日ハ鴻巣御成云々、
一、同六己巳二月九日御成云々、十一日ハ大聖寺、十二日は奥留云々、
一、同七庚午二月十一日御成云々、十三日大聖寺、十四日ハ奥留云々、
又千手觀音の像一軀を安ず、是は比企判官能員の守本尊なりと云、能員が裔孫郡中中山村の人道作といへる者、此像及び比企系圖一巻を添て當寺に寄納せり、巻末に此觀音を納めし始末を記せしが、今は虫ばみてなしと云、觀音は銅像にて古色殊勝のものなり、嘗て佛師見て云、釜庫こうの峯の彌陀を鑄し時、其餘銅を以て造る所ならんと、
薬師堂。此堂は昔御遊獵ありし時の、御休憩の御茶屋なりしを、其後この邊御放鷹も絶しにより、元禄年中松平伊豆守命じて破却せしめけり、其時其木材をもて、此堂を造りしと云、
山王社。御茶屋跡にあり、村の鎮守なり、御茶屋廢して後、其地を汚んことを恐れて、鎮守社を爰に移せりと云、
寺寶
御茶釜。昔此邊へ御遊獵の度ごとに御茶を煮し所のものとて今に貴重せり、其形は世に云尻張の釜にて、底の破裂せし所は鋲を以てとぢ合せたり、いと古色に見ゆ、
土玉一顆。土をもて造れる玉の如きものなり、寶珠の形をなせる器を唐銅にて作り、其中に納めり、蓋の裏面に、勝善院殿前豫州太守竹巌道節大居士、元禄七甲犬十月二十五日、犬運来土玉一顆含命奉納と記せり、これ酒井伊豫守忠興なり、元禄五年歳七十にして祝髪し、竹巌居士と號せり、此人平常犬を愛せり、彼犬元禄年中土玉を含み来れり、試にこれを碎けば、古錢十餘其中より出づ、後又前の如く含み来ること已に五年に及び、古錢數萬を得たり、それを集めて佛像を鑄造し、殘れる數十顆を紀伊國高野山、及び諸山の靈地に納めしより、當寺什寶とするものも其一なりと、これ高野山の沙門尊海といへるが、記せし所なりといへり、事跡頗る奇怪にわたれど、姑く傳るまゝを載す、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉宗教名鑑」による大聖寺の縁起

大聖寺
藺草山自性院と号す。
往時は草芽山と号していたが、書き改めたとうわれる。また宮鼻村(現東松山市宮鼻)にあった堂宇を天正年間(1573~1592年)、
現在地へ移転したという。
文禄4年(1595年)本寺大智寺第8世俊恵上人は当寺へ隠居し、その弟子俊円上人は法流を継いで中興第1世となる。(「埼玉宗教名鑑」より)


大聖寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉宗教名鑑」