中丸氷川神社。北本市中丸の神社
中丸氷川神社の概要
中丸氷川神社は、北本市中丸にある神社です。中丸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、慶安2・3年(1649・1650)に中丸村が上中丸村・下中丸村に分村する以前から中丸の鎮守として祀られ、分村後は上中丸村の鎮守として祀られ、下中丸村に当社の分霊を勧請した氷川社が祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治33年には神明社を、明治40年には大六天社など5社を合祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭4月10日、祇園祭7月15日 |
住所 | 北本市中丸3-91 |
備考 | - |
中丸氷川神社の由緒
中丸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、慶安2・3年(1649・1650)に中丸村が上中丸村・下中丸村に分村する以前から中丸の鎮守として祀られ、分村後は上中丸村の鎮守として祀られ、下中丸村に当社の分霊を勧請した氷川社が祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治33年には神明社を、明治40年には大六天社など5社を合祀しています。
「埼玉の神社」による中丸氷川神社の由緒
氷川神社<北本市中丸三-九一(北中丸字上手耕地)>
当地は元々中丸村として一村であったが、慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』に上・下中丸村がそれぞれ記載されており、これ以前に分村されていたことがわかる。
『風土記稿』上中丸村の項に「氷川社 村の鎮守なり、別当慈眼寺 新義真言宗 下深井村寿命院門徒 本尊十一面観音なり」と記されているのが当社である。一方、下中丸村の項には「氷川社 村の鎮守にて上村の氷川社をうつせしなりと云、安養院持」と記され、分村に際して当社から分霊したことをうかがわせる。このことから、当社は中丸村として一村であった当時には既に鎮守であったと考えられる。
神仏分離後、慈眼寺は廃寺となり、当社は明治六年に村社に列した。同七年には上・下中丸村が合併し、再び中丸村となると、その鎮守として崇敬されるに至った。一方、下中丸村の氷川社は、いつのころか廃絶した。更に、中丸村は明治十二年に北中丸村と改称し、同二十二年に近隣八か村と合併して、新たに中丸村が成立すると、その大字となった。このような中で当社は明治十四年に社殿を焼失し、翌十五年に再建された。更に、同三十三年に同大字の無格社神明社を合祀し、同四十年には大字山中の村社大六天社をはじめとする五社を合祀した。なお、当社の主祭神は素盞嗚尊で、本殿に奉安されるその神像の台座には「安永二年(一七七三)九月吉祥日」の墨書が見える。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による中丸氷川神社の由緒
(上中丸村)
氷川社
村の鎮守なり、
別當慈眼寺
新義眞言宗、下深井村壽命院門徒、本尊十一面觀音なり
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稲荷社
慈眼寺持
神明社三宇
稲荷社
十社稲荷と號す
蔵王社
道祖神社(新編武蔵風土記稿より)
中丸氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)