勝林寺。関東郡代伊奈備前守忠次の三男日譽源貞上人
勝林寺の概要
浄土宗寺院の勝林寺は、久運山と号します。勝林寺は、関東郡代伊奈備前守忠次の三男で檀林勝願寺第11世、大本山光明寺36世も勤めた日譽源貞上人が亡父の菩提を願って寛永元年(1624)に創建したといいます。
山号 | 久運山 |
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院号 | - |
寺号 | 勝林寺 |
住所 | 北本市東間2-34 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
勝林寺の縁起
勝林寺は、関東郡代伊奈備前守忠次の三男で檀林勝願寺第11世、大本山光明寺36世も勤めた日譽源貞上人が亡父の菩提を願って寛永元年(1624)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による勝林寺の縁起
(東間村)
勝林寺
浄土宗、鴻巣宿勝願寺末、士峯山東源院と號す、本尊阿彌陀を安ず、開山日譽承應元年七月十九日示寂す、此日譽は伊奈熊蔵が弟なりしが、剃髪して勝願寺に住職し、後當所に隠棲し此寺を開けりと云。
地蔵堂(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による勝林寺の縁起
浄土宗久運山勝林寺由緒
当山は、久運山勝林寺と号し、一六二四(寛永元)年に日譽源貞上人が亡父の菩提を願って創建した寺院である。
開山玉蓮社日譽眞至源貞上人は、小室郷丸山(現在伊奈町大字小室)に陣屋を構えていた。関東郡代伊奈備前守忠次の三男であり、幼少を忠武と言った。生来病弱のため伊奈家の菩提寺であった檀林勝願寺第七世圓譽不残上人について得度、勉学修行し、その後上人は一六三一(寛永)年に檀林勝願寺第十一世の御貫主となり、さらに鎌倉の関東総本山光明寺(現在大本山光明寺)第三十六世の御法主になられ、一六五一(慶安五)年七月十ッ九日鎌倉で亡くなられた。
当山は一六一〇(慶長十五)年六月十三日に没した父伊奈備前守忠次の法号から初めは七賢山勝林寺と号した。そののち一七五九(宝暦九)年、第十代関東郡代伊奈忠宥(タダオキ)が初代関東郡代伊奈忠次の百五十回忌の法会を行った。その時、檀林勝願寺第三十一世の御貫主忍譽上人が忠次の法号に久運の二字を贈られたので、当山の七寶山を久運山と改め今に及んでいる。(境内石碑より)
勝林寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」