高尾阿弥陀堂。北本市高尾にある仏教寺院

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高尾阿弥陀堂。北本七福神の布袋尊

高尾阿弥陀堂の概要

仏教寺院の高尾阿弥陀堂は、かつて西龜山無量寺泉蔵院と号す真言宗寺院の一堂宇でした。新編武蔵風土記稿に拠れば、阿弥陀堂はかつて石戸宿にあったもので、石戸賴兼といへる人が娘龜御前の追福を願って建立したものだといいます。一方、石戸宿の阿弥陀堂は西龜山無量院東光寺と号す時宗寺院で、蒲冠者源範頼が石戸鄕に配流された際、息女亀御前が正治元年(1199)逝去、その追福のために当寺を創建したとも、或いは石戸氏の娘の追福のために創建したともいいます。山号院号寺号が似通っていることを併せ考えると、石戸宿阿弥陀堂の由緒を巡って、(宗旨の違う)2寺院に分かれたのではないかと思われます。北本七福神の布袋尊が平成27年に安置されています。

高尾阿弥陀堂
高尾阿弥陀堂の概要
旧山号 西龜山
旧院号 泉蔵院
旧寺号 無量寺
住所 北本市高尾6丁目
宗派 -
葬儀・墓地 -
備考 -



高尾阿弥陀堂の縁起

高尾阿弥陀堂の創建年代等は不詳ながら、江戸期には西龜山無量寺泉蔵院と号す真言宗寺院の一堂宇でした。新編武蔵風土記稿に拠れば、阿弥陀堂はかつて石戸宿にあったもので、石戸賴兼といへる人が娘龜御前の追福を願って建立したものだといいます。一方、石戸宿の阿弥陀堂は西龜山無量院東光寺と号す時宗寺院で、蒲冠者源範頼が石戸鄕に配流された際、息女亀御前が正治元年(1199)逝去、その追福のために当寺を創建したとも、或いは石戸氏の娘の追福のために創建したともいいます。山号院号寺号が似通っていることを併せ考えると、石戸宿阿弥陀堂の由緒を巡って、(宗旨の違う)2寺院に分かれたのではないかと思われます。

新編武蔵風土記稿による高尾阿弥陀堂の縁起

(高尾村)
泉蔵院
新義真言宗、瀧馬室村常勝寺末、西龜山無量寺と號す、本尊大日を安ず。
阿彌陀堂
相傳ふ此堂元は石戸宿村の内にあり、石戸賴兼といへる人己が女龜御前と稱せしが、世を早うせる追福のために建立せし所なりしが、後故ありて此堂に移せりと、されど今石戸宿村にも阿彌陀堂ありて、しかも此に似たる事實を縁起に載せたり、何れが是なることを辨ずべからず、阿彌陀は立像長一尺五寸なり、作は鳥佛師又運慶ともいへり、古色なり。
鍾樓。寶暦十年の銘あり。(新編武蔵風土記稿より)


高尾阿弥陀堂の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」