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駒衣稲荷神社。児玉郡美里町駒衣の神社、駒衣の伊勢音頭、旧村社

駒衣稲荷神社の概要

駒衣稲荷神社は、美里町駒衣にある稲荷神社です。駒衣稲荷神社の創建年代は不詳ですが、元亀年間(1570-1573)に武田信玄の旗本吉橋大膳亮が武運長久を祈願して、社殿を改築したと伝えられます。旧駒衣村内の神社は、智徳寺円福寺の両寺が別当を勤めていましたが、当社は稲荷山智徳寺が別当を勤めていた稲荷社が当社に該当します。明治5年に村社に列格、明治40年に字新田の稲荷社をはじめ駒衣内の計四社を合祀したといいます。また当社には駒衣の伊勢音頭という伝統芸能が残されており、町指定民俗文化財となっています。

駒衣稲荷神社
駒衣稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂命
相殿 -
境内社 八坂神社、天神社、豊受神社、愛宕神社、諏訪神社、三嶋神社、琴平神社、塞神社、八幡神社、白山神社
祭日 祇園祭7月25日
住所 児玉郡美里町駒衣595
備考 -



駒衣稲荷神社の由緒

駒衣稲荷神社の創建年代は不詳ですが、元亀年間(1570-1573)に武田信玄の旗本吉橋大膳亮が武運長久を祈願して、社殿を改築したと伝えられます。旧駒衣村内の神社は、智徳寺円福寺の両寺が別当を勤めていましたが、当社は稲荷山智徳寺が別当を勤めていた稲荷社が当社に該当します。明治5年に村社に列格、明治40年に字新田の稲荷社をはじめ駒衣内の計四社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による駒衣稲荷神社の由緒

駒衣村
稲荷社、諏訪社、三島社、八幡社、以上智徳寺持。
天神社、愛宕社、稲荷社、以上円福寺持。(新編武蔵風土記稿より)

美里町史による駒衣稲荷神社の由緒

大字駒衣にあり、宇迦之御魂命を祀る。創建の年代等は不明であるが、元亀年間(1570-1573)に武田信玄の旗本(後に北条氏邦の家臣)駒衣の吉橋大膳亮が武運長久を祈願して、社殿を改築したといわれる。(美里町史より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による駒衣稲荷神社の由緒

駒衣は、古くは「駒絹」「駒木野」とも書き、南端を鎌倉街道上道が通ることから民家は南部に集中し、北部には東田が広がる。地内には、駒衣古墳群をはじめ、四世紀中葉の集落跡である志渡川遺跡や奈良・平安時代の寺院跡である駒衣廃寺、中世の土嚢の館跡である新堀屋敷などと遺跡が多く、古代から太の住みやすい環境であったことがうかがえる。
当社の境内は、駒衣の集落の北端に位置し、ちょうど氏子の家々を見守るような形で鎮圧している。創建については詳しい伝えはないものの、古くから駒衣の鎮守として厚く信仰されてきた神社であるという。また「児玉郡誌」は「元亀年中(1570-73)武田信玄の旗下・吉橋和泉守、武運長久を祈願し社殿を改築せりと云ふ、社蔵に係る文書には駒絹村正一位稲荷大明神とあり、宗源の宣旨は伝はらざれど、神階を授けられたること明らかなり」と載せ、当地は養蚕が盛んであることから、その守護神として勧請したものかと考察している。
一方、「風土記稿」駒衣村の項には智徳院持ちの稲荷社と円福院持ちの稲荷社の二社が記載されているが、当社はそのうちの智徳院持ちの稲荷社で、円福院持ちの稲荷社は新田で祀っていた神社である。神仏分離により智徳院の管理を離れた当社は、明治5年に村社になり、同40年には新田の稲荷社をはじめ地内の無格社計三社を合祀した。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


駒衣稲荷神社所蔵の文化財

  • 駒衣の伊勢音頭(埼玉県指定無形民俗文化財)

境内掲示による駒衣の伊勢音頭について

駒衣の伊勢音頭
駒衣の伊勢音頭は、今から300-400年前に、伊勢参りのみやげに伊勢古市の女郎の踊りを習い覚えてきた人たちによって伝えられたのがはじまりだと言われています。その後、この地域の人々の中に育ち、今日に及んでいます。
この行事は、7月25日に稲荷神社末社の八坂神社の祭典当日、鎮守の森に村中の若衆が集まり、養蚕も大当り、水の心配もなく、農作業が無事に終わって秋に五穀の豊穣が迎えられますように、また悪疫が流行しないように踊りを奉納して祈願するということです。
この踊りは、とくに「ヤートコセー」のはやしことばが特徴的です。
曲目は、手踊りと段物(当地では「台詞入り伊勢音頭」と言う)があり、前者には「伊勢は津でもつ」、「目出度」等、後者には「本朝二十四孝筍掘之場」、「いざり勝五郎」等が現在もさかんに行われています。(埼玉県教育委員会・美里町教育委員会掲示より)


駒衣稲荷神社の周辺図


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