満正寺。児玉郡美里町中里にある曹洞宗寺院
満正寺の概要
曹洞宗寺院の満正寺は、安養山と号します。光厳寺二世雪厳素立大和尚が隠居寺として寛文元年(1661年)に創建したといいます。
山号 | 安養山 |
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院号 | - |
寺号 | 満正寺 |
住所 | 児玉郡美里町中里475 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
満正寺の縁起
満正寺は、光厳寺二世雪厳素立大和尚が隠居寺として寛文元年(1661年)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による満正寺の縁起
満正寺
禅宗臨済派、白石村光厳寺末、安誉山と号す。本尊三尊弥陀を安ず。開山雪厳素立寛文7年6月17日示寂。
荒神社(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による満正寺の縁起
曹洞宗安養山満正寺の由来
寛文元年辛丑11月(1661年)美里町大字白石威音山光厳寺二世雪厳素立大和尚は此の地に満正寺を開山され、その折、山腹を崩して平にし庫裡を造り隠居寺とされました。雪厳素立大和尚は寛文7年6月17日示寂されました。本尊は、三蔵阿弥陀如来、庫裡本堂は麦捍葺き屋根でしたが、昭和27年本堂の屋根を瓦にしました。本寺光厳寺は元は臨済宗でありましたが、猪俣能登守邦憲、亡父菩提のため少林寺より和尚を招き、中興開基して今の曹洞宗に改めました。創立より児玉町高柳の長泉寺末、寄居町末野少林寺末、の経過を見て美里町白石光厳寺末となり現在に至っております。荒神社(天和3年癸亥・1683年)は三世柏堂竜松和尚の建立、満正寺持ちで、明治33年に改築、現在に至っております。満正寺本堂は三百年の歳月を経、老朽化して保存に耐えられない状態にたったので、平成元年3月19日普門寺住職、光厳寺住職と相談して、区長、前役員の主導で建設対策委員会を創り協議を重ねました。平成2年4月29日、檀信徒の総会を開催し、全員の賛成を得て、本堂の建設、建設委員、常任委員を決定しました。建設に要する資金は住職・建設委員一体となり浄財勧募に尽力し、また、檀信徒の協力によって集まりました。阿弥陀三尊は光厳寺に納め、新たに本尊釈迦如来をお迎えし、役員の会議を幾度となく開催し、平成3年6月30日本堂落慶の運びとなりました。平成3年6月吉日(境内石碑より)
境内石碑による境内社荒神社の縁起
三寶大荒神之碑
抑々当安養山満正寺境内ニ安置セラルル三寶大荒神ハ人皇五十一代平城天皇ノ御宇大同元(806)丙戌年弘法大師此ノ山ニ遊歴シテ錫ヲ留ルコト数日或ル夜ノ夢ニ三面六臍臍ノ異人忽然トシテ眼前ニ顕レ告テ曰ハク我ヲ此ノ山ニ安置セシムレバ百年ノ後当ニ養蚕ノ守護タルベク又福穂ヲ施興シ一切ノ障礎ヲ除却すベシ云々ト大師愕然トシテ夢醒メヌ則チ霊木ヲ選テ一刀ヲ下ス毎ニ焼香三拝シテ御長五寸ノ尊像ヲ彫刻シテ以テ此ノ山ニ安置ス所謂夢中現レ給フ御尊客是ナリ(境内石碑より)
満正寺の周辺図