威音山光厳寺。猪俣能登守邦憲が中興開基、児玉三十三霊場
光厳寺の概要
曹洞宗寺院の光厳寺は、威音山と号します。円融禅師峻翁令山(応永15年1408年寂)が臨済宗寺院として創建、その後当地の領主猪俣能登守邦憲が、亡父明庄院光山宗厳大居士の菩提を弔うため、中興開基となり曹洞宗寺院に改めたといいます。天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の朱印状を拝領しています。児玉三十三霊場17番霊場です。
山号 | 威音山 |
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院号 | - |
寺号 | 光厳寺 |
住所 | 児玉郡美里町白石2013 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 児玉三十三霊場17番霊場 |
光厳寺の縁起
光厳寺は、円融禅師峻翁令山(応永15年1408年寂)が臨済宗寺院として創建、その後当地の領主猪俣能登守邦憲が、亡父明庄院光山宗厳大居士の菩提を弔うため、中興開基となり、少林寺の天翁恩大和尚を招聘、曹洞宗寺院に改めたといいます。天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の朱印状を拝領しています。峻翁令山禅師は武蔵國秩父郡出身で寂後に勅号(天皇よりの法名命名)を賜り法光円明国師と呼ばれた高僧名僧で、八王子兜率山廣園寺、渋谷古碧山龍巌寺、深谷常興山國済寺どを開山しています。
美里町史による光厳寺の縁起
光厳寺
大字白石にあり、威音山光厳寺と号し、寄居町末野少林寺の末寺で、曹洞宗、本尊は正観音である。もと臨済宗で、開山を円融禅師峻翁令山といい、この人は応永15年(1408)に没しているので、寺の創建は南北朝時代の末期であろうか。その後、北条氏邦の重臣猪俣能登守邦憲(範直)が天正12年12月1日に没した乳猪俣左近大夫範頼の菩提のため、中興の開基となり現在の宗派に改め、寺号も亡父の法号の二字をとって、光厳寺としたといわれる。猪俣範頼の墓石は、当寺の墓所に残っている。光厳寺文書としていくつかの古文書を所蔵している。(美里町史より)
新編武蔵風土記稿による光厳寺の縁起
光厳寺
禅宗曹洞派、榛澤郡末野村少林寺末、威音山と号す。寺領10石は天正19年11月賜ふ所なり。当寺はもと臨済宗にて、開山円融禅師峻翁令山と云。応永15年3月6日示寂す。其後猪俣能登守邦憲、亡父菩提の為中興開基して今の宗派に改め、且寺号も父の法号の二宇を摘みてかく銘せり。その石塔墓所にあり、明庄院光山宗厳大居士と号す。天正12年12月朔日卒す。この頃の僧を天翁恩大和尚と云。寛永2年某月27日寂す。其後故ありて駒井角右衛門再興して檀越となる。此八は寛永3年11月28日卒す、法名直指院體安堅正居士と号す。今旗下の士但馬氏の先祖なり。是も石碑あり。又文書二通を載す。其文末に出せり。
金比羅社、白山社、天神社、稲荷社、荒神社。(新編武蔵風土記稿より)
光厳寺の周辺図