長福寺。逸見上総介光長子孫の九左衛門義長開基
長福寺の概要
真言宗智山派寺院の長福寺は、瑠璃光山薬師院と号します。長福寺は、武田家家臣だった逸見上総介光長の子孫九左衛門義長(慶長13年1608年没)が、沼上北向神社の本地仏であった薬師如来を崇信、開基となり慶長2年(1597)に創建したといいます。
山号 | 瑠璃光山 |
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院号 | 薬師院 |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 児玉郡美里町沼上590 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 薬師如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、武田家家臣だった逸見上総介光長の子孫九左衛門義長(慶長13年1608年没)が、沼上北向神社の本地仏であった薬師如来を崇信、開基となり慶長2年(1597)に創建したといいます。
美里町史による長福寺の縁起
長福寺
大字沼上にあり、瑠璃光山薬師院長福寺と称し広木常福寺の末で真言宗智山派、本尊は薬師如来である。
「新記」によると当寺は名主利右衛門の先祖である九左衛門義長(逸見上総介光長の子孫といわれる)が武田氏滅亡の後当所に隠遁して北向明神の本地仏である薬師を崇信し慶長2年(1597)に一字の堂を創建したことにより義長を開基とするという。義長は慶長13年(1608)9月13日に没し、法名を「奘瑩院英俊道定居士」といったと記されている。(美里町史より)
新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起
長福寺
新義真言宗、那賀郡広木村常福寺末、瑠璃光山薬師院と号す。本尊大日を安ず。又傍に北向明神の本地薬師を置り。当寺は名主利右衛門が先祖、九左衛門義長なるもの逸見上総介光長の苗裔にて、武田家滅亡の後当所に跡をかくし、かの明神の崇信のあまり、慶長2年一宇の堂を創建せり。因てこれを開基とす。同き13年9月23日卒し謚して奘嵤院剣俊道院居士と云。中興開山を慶順と云。寛文12年6月3日示寂す。(新編武蔵風土記稿より)
長福寺の周辺図