大芦氷川神社。鴻巣市指定有形文化財の算額
大芦氷川神社の概要
大芦氷川神社は鴻巣市大芦にある神社です。大芦氷川神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には大芦村の鎮守として祀られていたといいます。明治6年村社に列格、明治40年には字田向の雷電社、字土橋の稲荷社、字三人野の稲荷社・諏訪社、字新在家の蠶養社・雷電社・神明社、字氷川の雷電社・大天白社・神明社、字台の浅間社、字中内出の塞神社を合祀しています。当社所蔵の算額は、算法上達祈願のために奉納されたもので、鴻巣市有形文化財に指定されています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、稲荷社 |
祭日 | お獅子様7月1日、夏祭り7月18・19日、秋祭り11月23日 |
住所 | 鴻巣市大芦1030 |
備考 | - |
大芦氷川神社の由緒
大芦氷川神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には大芦村の鎮守として祀られていたといいます。明治6年村社に列格、明治40年には字田向の雷電社、字土橋の稲荷社、字三人野の稲荷社・諏訪社、字新在家の蠶養社・雷電社・神明社、字氷川の雷電社・大天白社・神明社、字台の浅間社、字中内出の塞神社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による大芦氷川神社の由緒
(大蘆村)
氷川社
醫王寺の持、
稲荷社
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大天八公社
祭神を詳にせず、村民持、下七社も同じ、境内に東照宮の御宮あり、是は古へ此邊へわたらせられし時、御腰を掛させ給ひし御跡なれば、土人等造立し奉るといへり、
稲荷社
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太神宮二宇
道祖神社
雷電社三宇
淺間社
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稲荷社二宇
共に醫王寺持、
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諏訪社
龍光寺持、 (新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大芦氷川神社の由緒
氷川神社<吹上町大芦一〇三一(大芦字氷川)>
当地は元荒川と荒川に挟まれた低地に位置し、集落は旧河道の自然堤防上にある。また、かつて当地南西の荒川には大芦河岸があり、古くから日光脇往還の渡船場としても栄えた。村の開発の年代は明らかでないが、慶長十二年(一六〇七)十月の「足立郡箕田内大芦村御検地水帳」(堀口家文書)が残る。
当社は大芦村の鎮守として祀られてきた社で、『風土記稿』大芦村 の項には「氷川神社 医王寺の持、稲荷社」とある。江戸期に別当でった医王寺は真言宗の寺院で、開山賢秀の没年は明らかでないが、二世の僧秀栄は貞享三年(一六八六)に没したという。
当社は『明細帳』によると、明治六年に村社となり、同二十八年に本殿を再建し、同四十年には字田向の雷電社、字土橋の稲荷社とその境内社八坂社、字三人野の稲荷社・諏訪社、字新在家の蠶養社・雷電社・神明社、字氷川の雷電社・大天白社・神明社、字台の浅間社、字中内出の塞神社の計一三社を合祀した。ただし、新在家の雷電社と中内出の塞神社は今も祠がそのまま残されている。
なお、社蔵の算額は嘉永三年(一八五〇)四月に関流の小林要吉郎勝栄一門が奉納したもので、一門は広く大芦・明用・今泉・吹上・和名・登戸・多門寺・箕輪などの各村にわたる四六人で、算法上達祈願を込めたものである。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
大芦氷川神社所蔵の文化財
- 大芦氷川神社の算額(鴻巣市指定有形文化財)
大芦氷川神社の算額
算額とは、和算家が和算の問題と解答を木版に描き、神社仏閣に奉納したもので絵馬の一種である。
この算額は、当初に住む関流(関孝和の流派)の和算家小林要吉郎勝栄一門が嘉永三年四月に、算法上達祈願のためにこの大芦氷川社に奉納した。
大芦・明用・今泉・吹上・和名・登戸・多門寺・箕輪等の各村にわたる一門四六人の連名となっている。
和算は、中国の影響を受けて我が国独得の高度な発達を遂げた数学である。江戸時代には関孝和らによって研究が深められ、西洋数学と遜色のない水準に達したが、応用技術と結びつかなかったために科学としての研究は深められなかった。
しかし、地方人士の間で一種の知的競技として難問を出し合い、その解答を算額にして公開することが流行した。算額は、当時の人たちの知的水準の高さの一端を窺い知る貴重な資料でもある。
参考:嘉永三年(一八五〇)(鴻巣市教育委員会掲示より)
大芦氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」