聖泉寺。鴻巣市糠田にある曹洞宗寺院

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聖泉寺。安達藤九盛長坐像木像と渥美壺

聖泉寺の概要

曹洞宗寺院の聖泉寺は、補陀山と号します。聖泉寺の創建について、江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿に記載ありませんが、当地の旧家河野権兵衛が開基となり、寛永年間(1624-1644)に観音堂として整備、南叟玄寿大和尚を開山として招聘したといいます。南叟玄寿大和尚は、永福寺第17世を務め、当寺の他に鎌塚自昌寺北新宿永勝寺を開山した僧です。

聖泉寺
聖泉寺の概要
山号 補陀山
院号 -
寺号 聖泉寺
本尊 釈迦牟尼仏像
住所 鴻巣市糠田1359
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



聖泉寺の縁起

聖泉寺の創建について、江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿に記載ありませんが、当地の旧家河野権兵衛が開基となり、寛永年間(1624-1644)に観音堂として整備、南叟玄寿大和尚を開山として招聘したといいます。南叟玄寿大和尚は、永福寺第17世を務め、当寺の他に鎌塚自昌寺北新宿永勝寺を開山した僧です。

境内掲示による聖泉寺の縁起

庫裡新築本堂改装記念碑
当山は曹洞宗補陀山聖泉寺と称し、本尊は釋迦牟尼如来で、寛永年間に、河野権兵衛が、室町時代の仏師定頼の作(西暦一三六〇年以前)と伝えられる聖観世音菩薩像を本尊とする霊験あらたかな観音堂の地を選び、放光寺と分離し一族一統を挙げて、吹上村新宿の南叟玄寿大和尚を迎えて開山したと伝えられています。
その後、本堂の再建は延宝二年(一六七四年)に行なわれ、また再々建された現在の本堂は宝暦十二年(一七六二年)純苗叟住職の時代に河野権兵衛幸道が納めたことが本堂南東隅の礎石に刻まれており、約二百三十年前の建立ということであります。
以来、庫裡も本堂も茅葺のため葺替えが数多く行われて来ましたが、近年境内に面して忍川越県道橋開通(昭和六十二年)の運びおなり、文化交通の発展が著しく、庫裡の老朽化も目立ち、見るに忍びない状態となり、時代に即応し、且つ檀家の便に供し得る庫裡の新築と本堂の改築、境内の整備を計画しましたところ、檀家各位の絶大なる御協力を得てここに完成することが出来ました。
檀家各位の温かい御信仰の賜ものと感謝するものであります。(境内石碑より)

新編武蔵風土記稿による聖泉寺の縁起

(糠田村)
褒善者河野權兵衛
代々當村の百姓なり、權兵衛は篤實廉直のものにて、多年農耕に勤めて奇特のはからひありしゆへ、里民自ら一和せり、かゝりければ其善行近郷に聞えたりとぞ、天明三年飯塚伊兵衛が當村の御代官たりし時、彼が善行を聞え上て銀若干を賜ひ、且子孫まえ苗字を名乗べく、其身一代は帶刀すべき由いひわたせしなり、それより猶も励みたりしに、明る四年關東飢饉なりしかば、貧民の助力として金二百兩を施し、同き五年近郷水溢の時も食物等村内へ出せしゆへ、御代官より再び奇特なる旨褒賞したりと云、今の權兵衛は彼が子なるが、父におとらず貞實のものにて、よく村民の和順して農業に勤めおこたらずと云り、(新編武蔵風土記稿より)


聖泉寺の周辺図