持宝院。鴻巣市筑波にある真言宗豊山派寺院
持宝院の概要
真言宗豊山派寺院の持宝院は、光明山無量寺と号します。持宝院は、円清和尚(寛永20年1643年寂)が開山したといいます。明治6年廃寺とされ、本堂・薬師堂が取り壊されたものの、簡素な堂宇が建立され、法燈が維持されているといいます。現在は旧本寺の龍珠院が管理しています。
山号 | 光明山 |
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院号 | 持宝院 |
寺号 | 無量寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 鴻巣市筑波1-11 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
持宝院の縁起
持宝院は、円清和尚(寛永20年1643年寂)が開山したといいます。明治6年廃寺とされ、本堂・薬師堂が取り壊されたものの、簡素な堂宇が建立され、法燈が維持されているといいます。現在は旧本寺の龍珠院が管理しています。
新編武蔵風土記稿による持宝院の縁起
(吹上村)
持寶院
光明山無量寺と號す、前と同寺(新義眞言宗、箕田村龍珠院)の門徒なり、開山圓清寛永二十年寂す、本尊彌陀を安ず、
(新編武蔵風土記稿より)
「吹上町史」による持宝院の縁起
持宝院
箕田村竜昌寺の末寺で、光明山無量寺と号しているこの寺は、東曜寺と同じ真言宗豊山派である。吹上郵便局の北方一〇〇メートルぐらいの所に、人家に囲まれて墓地と堂一宇が寂しいたたずまいを見せている。第一世円清和尚は、寛永二十年(一六四三)に寂していることから、寺の草創は古く永い歴史をもっ寺であるが、明治六年三月二十三日に時の新政府の方針によって当時無住であったために廃寺仰付けられ、本堂、薬師堂など取壊されたあとに草葺の堂が建てられたものであった。この堂も姿を消して現在は民家風の建物になって、本尊その他諸仏がまつられている。寺として存在はしないが、三百四、五十年に及ぶ永い法燈は、檀家の人々の悲願によって燃えつづけている。
本尊は、来迎形の阿弥陀如来立像である。木造、寄木造、漆箔、玉眼、高さ四八センチで、江戸時代作とされている。右手首、左足首が欠け落ちて傷みがひどく、寺の運命が表徴されているように恩われてならない。ほかに、吹上村横田孫右衛門同妻ゆゐの供養仏、享保三年(一七一八)銘の如来坐像や誕生仏など諸尊がある。薬師堂の薬師は見あたらない。(「吹上町史」より)
持宝院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「吹上町史」