東越谷神明社。越谷市東越谷の神社

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東越谷神明社。旧小林村鎮守

東越谷神明社の概要

東越谷神明社は、越谷市東越谷にある神明社です。東越谷神明社の創建年代は不詳ですが、元亨3年(1323)銘の板碑が見つかっていることや、旧別当寺の東福寺が康暦2年(1380)創建であることなどから、室町時代初期には村落として成立、創建されていたのではないかといいます。江戸時代には当地周辺小林村の鎮守社となっていました。

東越谷神明社
東越谷神明社の概要
社号 神明社
祭神 天照大御神
合祀 -
境内社 -
祭日 -
住所 越谷市東越谷1-12-6
備考 旧小林村鎮守



東越谷神明社の由緒

東越谷神明社の創建年代は不詳ですが、元亨3年(1323)銘の板碑が見つかっていることや、旧別当寺の東福寺が康暦2年(1380)創建であることなどから、室町時代初期には村落として成立、創建されていたのではないかといいます。江戸時代には当地周辺小林村の鎮守社となっていました。

新編武蔵風土記稿による東越谷神明社の由緒

(小林村)神明社
村の鎮守なり、東福寺持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による東越谷神明社の由緒

現在、東越谷一-十丁目の地域は、その大部分が東小林と呼ばれた地域で、昭和四十六年から五十五年までに町名変更された。更に東小林の名も、元は小林村であったのを明治十二年に同郡内の小林村(菖蒲町)と区別するために、互いに東西の文字が冠されたものである。
この小林村の地区では元亨三年(一三二三)のものをはじめとする一〇枚の板碑が見つかっており、当社の別当を務めていた真言宗小林山虚空院東福寺は康暦二年(一三八〇)の創建と伝えることから、このころには既に開発されていたようである。
越谷地域では、四町野の鎮守として祀られていた神明社に、嘉吉二年(一四四二)の棟札があり、室町期には神明社を祀るようになってきていることや、当社別当寺の創建年代と『風土記稿』に当社が「村の鎮守」として載ることから勘案すると、当社の創建をこの時期と見ることもできるが、これを裏付ける資料がないのは残念なことである。
また、当社の江戸期の状況は村の鎮守という以外は不明であるが、明治以降は当社の北側に鏡座する香取神社が村社となり、村の信仰の、中心となった。一方、当社は無格社となり、崇敬者一〇〇名、うち戸主一八名で祀るようになった。当社がなぜ村の中の限られた家の社になったのかは不明であるが、江戸期盛んであった伊勢講が衰え、この時に残った請員で固定されたことによるのかもしれない。(「埼玉の神社」より)


東越谷神明社の周辺図