麦塚女体神社。越谷市川柳町の神社
麦塚女体神社の概要
麦塚女体神社は、越谷市川柳町にある女体神社です。麦塚女体神社の創建年代等は不詳ですが、智泉院が開基した天正年間(1573-92)には麦塚村が開村しておりその頃には創建していたのではないかといいます。明治4年村社に列格、明治41年には字笹塚の無格社八幡神社、字八幡後の無格社女体神社を合祀、明治45年には当社の境内社五社(第六天、稲荷、天神、疱瘡神、牛頭天王)を本殿に合祀しています。
社号 | 女体神社 |
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祭神 | 伊弉冉尊 |
合祀 | - |
境内社 | 八坂社、弁財天社 |
祭日 | - |
住所 | 越谷市川柳町5-284 |
備考 | 麦塚村鎮守、旧村社 |
麦塚女体神社の由緒
麦塚女体神社の創建年代等は不詳ですが、智泉院が開基した天正年間(1573-92)には麦塚村が開村しておりその頃には創建していたのではないかといいます。明治4年村社に列格、明治41年には字笹塚の無格社八幡神社、字八幡後の無格社女体神社を合祀、明治45年には当社の境内社五社(第六天、稲荷、天神、疱瘡神)を本殿に合祀しています。
新編武蔵風土記稿による麦塚女体神社の由緒
(麦塚村)女體権現社
村の鎮守なり、智泉院の持
末社。第六天、稲荷、天神、疱瘡神、牛頭天王(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による麦塚女体神社の由緒
麦塚村の名主を務めた中村氏は、岩付衆中村右馬介の系統を引くものと伝えられる旧家である。地内の智泉院は、天正年間(一五七三-九二)にこの中村右馬介が開基したものと伝えられている。
当社は麦塚の村の鎮守として祀られている。その創建の年代は明らかでないが、口碑によると、柿木(草加市柿木町)の女体様が長女、篠葉(草加市弁天町)の女体様が次女、麦塚の女体様が三女で、筑波山からこの三姉妹が勧請されたという。また、別の口碑によれば、当社は柿木の女体様の分かれであるともいう。なお篠葉の女体様は同村の鎮守であった弁天社を指すと思われる。このような伝承が生まれた背景としては、柿木の女体神社の別当であった真言宗東漸院が、篠葉と麦塚のそれぞれの女体神社の別当であった東正寺(註:現観正院)・智泉院と本末関係にあったことが挙げられよう。すなわち、筑波山からまず柿木の女体神社が勧請され、そこから東正寺(註:現観正院)・智泉院により篠葉・麦塚へと分霊されていったものと思われる。
『風土記稿』麦塚村の項に「女体権現社 村の鎮守なり、智泉院の持、末社 第六天 稲荷 天神 疱瘡神 牛頭天王」と記されている。
明治四年に村社となり、同四十一年には字笹塚の無格社八幡神社、字八幡後の無格社女体神社を合祀し、同四十五年には当社の境内社五社を本殿に合祀した。(「埼玉の神社」より)
麦塚女体神社の周辺図