大道神社。旧香取神社に諸社を合祀
大道神社の概要
大道神社は、越谷市大字大道にある稲荷神社です。大道神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には村の鎮守として祀られ、香取社と称していました。明治5年に村社に列格、明治40年字上手の無格社八坂神社と字四反田(新田)の無格社稲荷神社とを合祀、社号を大道神社と改めたものの、上手の八坂神社・新田の稲荷神社ともに社殿は残され、また当社も「香取様」と呼ばれているといいます。
社号 | 大道神社 |
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祭神 | 経津主命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、猿田彦大神、小御嶽大神 |
祭日 | 祭礼7月15日 |
住所 | 越谷市大字大道95 |
備考 | 旧村社 |
大道神社の由緒
大道神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には村の鎮守として祀られ、香取社と称していました。明治5年に村社に列格、明治40年字上手の無格社八坂神社と字四反田(新田)の無格社稲荷神社とを合祀、社号を大道神社と改めたものの、上手の八坂神社・新田の稲荷神社ともに社殿は残され、また当社も「香取様」と呼ばれているといいます。
新編武蔵風土記稿による大道神社の由緒
(大道村)
香取社
村の鎮守なり、歸命院の持、
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稲荷社
正福院の持
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歸命院
同宗、三之宮村一乗院門徒にて、本尊不動
香取社(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大道神社の由緒
大道神社<越谷市大道九五(大道字上手)>
大道は、元荒川に沿った低地帯に位置する農業地域である。元荒川は、この辺りで大きく蛇行を繰り返し、越谷の市街地に流れ込んでおり、集落は川沿いの自然堤防上に形成されているが、低地であるためにしばしば水害に悩まされ、明治四十三年や昭和二十二年の河川の氾濫時には社殿のすぐ裏手まで水が来たほどであった。
村の開発の年代については明らかでないが、慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』にその村名が見える。
当社は『風土記稿』大道村の項に「香取社 村の鎮守なり、帰命院の持」とあるように、元来は香取社と称していた。別当の帰命院は三之宮村一乗院門徒で本尊を不動明王とする真言宗寺院であったが、神仏分離後の明治七年に廃された。現在当社の参道入口の傍らにある不動堂がその名残と思われる。当社は明治五年に村社となり、同四十年には字上手の無格社八坂神社と字四反田の無格社稲荷神社の両社を合祀した。この合祀を機に、当社の社号は村名にちなんで大道神社と改められたが、氏子の間では今も「香取様」の通称で親しまれている。
現在の本般は、棟札の記録によれば文政八年(一八二五) に建立された古いものであるが、拝殿は大正十二年の関東大震災で全壊したため、大正十五年三月十五日に再建されたものである。なお、この拝殿再建の際に、本殿の屋根も草葺きから現在の瓦葺きに改められた。(「埼玉の神社」より)
大道神社の周辺図