迎摂院。総鎮守越ヶ谷久伊豆神社のもと別当
迎摂院の概要
新義真言宗系単立寺院の迎摂院は、越谷山神宮寺と号します。迎摂院の創建年代は不詳ですが、賢榮法印(天文4年1535年寂)が中興開基、天正19年には徳川家康より寺領5石の御朱印状を拝領したといい、明治の神仏分離令までは越ヶ谷郷の総鎮守越ヶ谷久伊豆神社や越ヶ谷中町の鎮守中町浅間神社などの別当寺であったといいます。武蔵国八十八ヶ所霊場23番です。
山号 | 越谷山 |
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院号 | 迎摂院 |
寺号 | 神宮寺 |
住所 | 越谷市宮本町2-54 |
宗派 | 新義真言宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
迎摂院の縁起
迎摂院の創建年代は不詳ですが、賢榮法印(天文4年1535年寂)が中興開基、天正19年には徳川家康より寺領5石の御朱印状を拝領したといい、明治の神仏分離令までは越ヶ谷郷の総鎮守越ヶ谷久伊豆神社や越ヶ谷中町の鎮守中町浅間神社などの別当寺であったといいます。の別当寺であったといいます。
新編武蔵風土記稿による迎摂院の縁起
(四町野村)迎攝院
新義真言宗、末田村金剛院末、越谷山神宮寺と號す、天正十九年寺領五石の御朱印を賜ふ、當院は天文四年僧賢榮中興開基すと云ふ、本尊は弥陀を安ず
鐘楼。寛永三年の鐘は破裂して、安永八年六月再鋳造の鐘をかけり。
観音堂(新編武蔵風土記稿より)
迎摂院所蔵の文化財
- 寺領寄進朱印状(越谷市指定有形文化財)
寺領寄進朱印状
宮本町の越ヶ谷山迎攝院は、天文四年(一五三五)の遷化を伝える賢榮法印による中興開山の真言宗寺院である。当寺は、古くから越ヶ谷郷の総鎮守越ヶ谷久伊豆神社や越ヶ谷中町の鎮守中町浅間神社などの別当寺であった。
天正十九年(一五九一)十一月、徳川家康より寄進寺領高五石の朱印状が交付され、以来将軍の代替りごとに交付された朱印状全十二通が保存されている。この徳川家康による全十二通の寺領朱印状が現存しているのは、市内では当寺院のみである。(越谷市教育委員会掲示より)
迎摂院の周辺図