正法院。関東八十八ヶ所霊場、東国花の寺百ケ寺
正法院の概要
真言宗智山派寺院の正法院は、慈眼山と号します。正法院は、僧円俊が康正元年(1455)に創建、当地の領主だった鳩井氏に関する永禄13年(1570)銘の棟札が境内の熊野社に残されています。江戸期には、慶安2年(1649)に寺領10石8斗の御朱印状を受領していました。当寺観音堂の十一面観音菩薩は、元禄15年(1702)に開創した足立板東三十三観音霊場の8番札所となっています。関東八十八ヶ所霊場81番、彩の国武州路十二支霊場の卯年文殊菩薩、東国花の寺百ケ寺・埼玉十番です。
山号 | 慈眼山 |
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院号 | 正法院 |
寺号 | - |
住所 | 久喜市菖蒲町上栢間2767 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正法院の縁起
正法院は、僧円俊が康正元年(1455)に創建、当地の領主だった鳩井氏に関する永禄13年(1570)銘の棟札が境内の熊野社に残されています。江戸期には、慶安2年(1649)に寺領10石8斗の御朱印状を受領していました。当寺観音堂の十一面観音菩薩は、元禄15年(1702)に開創した足立板東三十三観音霊場の8番札所となっています。
新編武蔵風土記稿による正法院の縁起
(栢間村附持添新田)
正法院
新義眞言宗、足立郡上深井村壽命院末、寺領十石八斗は慶安二年賜ふ、慈眼山と號す、僧圓俊文明中草創すと云、本尊不動を安ずと云、
觀音堂。長三尺許、立像の正觀音を安ず、行基菩薩の作と傳ふ、此堂に文明年中の棟札ありと云、
地蔵堂
熊野社。社中に古き棟札あり、此の鳩井氏の事村内に城蹟ありて、古く當所に住せし人なれば當寺に由緒も殘りしなるべけれど、此外の傳更になし、
鐘樓。延享五年鑄造の鐘をかく、(新編武蔵風土記稿より)
正法院所蔵の文化財
- 木造十一面観音立像一躯(久喜市指定有形文化財)
木造十一面観音立像一躯
真言宗智山派の名刹であるこの寺は、山号を慈眼山観音寺正法院といいます。本尊は不動明王で、慶安二年(一六四九)に高十石八斗のご朱印を賜っています。
正法院の過去帳には、康正元年(一四五五)僧円俊によって草創されたとあります。『新編武蔵風土記稿』は「僧円俊文明年中(一四六九~一四八六)草創す」と載せ、『武蔵国郡村誌』では「慶長七年(一六〇二)長深の創立にして開山は尊雄なり」とあります、『風土記稿』栢間村古城蹟の項に、「村の東の方小名沼尻にあり。-中略-古くは鳩井将監と云者、此所に住せしと云。」また「村内正法院の熊野社に蔵する永禄十三年(一五七〇)の棟札に、大旦那鳩井殿息女鍋殿の載たれば」とあり、さらに他の文献を引用して鳩井氏が古くより栢間(沼尻)に住み、正法院と密接な関係にあった事を伝えています。
この十一面観音像は、正法院観音堂の本尊として伝わっています。『風土記稿』には「長三尺許、立像の正観音を安ず、行基菩薩の作と伝ふ。」とあります。
十一面観音像の形状は、菩薩形で、頭頂に上下二段に十個の仏面(変化面)を配し、宝冠台正面に弥陀の化仏を置いています。胸には瓔珞(宝石の付いた首飾り)を着け、通肩風に法衣をまとい右腕をさげ、左手に華瓶を持っています。スギ材の一木で造られ、眼を彫り、彩色が施されています。この彩色は、白岡町に住んでいた仏師立川金禄氏に依頼して、昭和四十一年に行ったものです。菩薩形ながら、衲衣(僧の法衣)に偏衫(僧衣で上半身を覆う法衣)を通肩風にまとう姿は、鎌倉時代頃から普及し始める宋風の菩薩像の影響を受けています。
地味え堅実温和な仕上げやスギ材の一木造りという技法から、在地仏師の製作したものであろうと考えられます。
製作年代は室町時代、特に文明(一四六九~一四八六)の頃と考えられ、菖蒲町の中世彫刻を代表する仏像です。(久喜市教育委員会掲示より)
正法院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」