玉作八幡神社。熊谷市玉作の神社

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玉作八幡神社。古代の玉造部が創祀した玉造神社に八幡神社を勧請

玉作八幡神社の概要

玉作八幡神社は、熊谷市玉作にある八幡神社です。玉作八幡神社の創建年代等は不詳ながら、往古は玉造神社と称され、古代の玉造部が創祀し、奉斎した社ではないかといいます。その後源氏の台頭に伴い、八幡神社が勧請されたのではないかと推定され、江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治7年村社に列格、明治42年字成願にあった稲荷社と荒神社を境内に遷座しています。

玉作八幡神社
玉作八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 諏訪神社、八坂神社、伊奈利神社、荒神社
祭日 -
住所 熊谷市玉作343
備考 -



玉作八幡神社の由緒

玉作八幡神社の創建年代等は不詳ながら、往古は玉造神社と称され、古代の玉造部が創祀し、奉斎した社ではないかといいます。その後源氏の台頭に伴い、八幡神社が勧請されたのではないかと推定され、江戸期には村の鎮守として祀られていました。明治7年村社に列格、明治42年字成願にあった稲荷社と荒神社を境内に遷座しています。

新編武蔵風土記稿による玉作八幡神社の由緒

(玉作村)
八幡社
村の鎮守なり、不動寺持、
-
荒神社
同寺持、
-
稲荷社
多聞寺持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による玉作八幡神社の由緒

八幡神社<大里村玉作三四三(玉作字成瀬)>
船木遺跡の出土品に見られるように、古代、大里郡内では勾玉や管玉が製作されており、玉作という地名もこの地に玉造部が住んでいたことによるという。玉作の地内は、中央部を南北に貫通する大里比企広域農道を境にして、西側が本田、東側が新田と呼ばれ、当社は、本田の集落の北端部に、荒川支流の和田吉野川の流れを背に鎮座し、その社殿は水害を避けるために水塚の上に築かれている。
『郡村誌』に「往古は玉造神社と唱へたりと云」とあるように、当社は、古くは玉造神社と呼ばれ、古代の玉造部が創祀し、奉斎した社ではないかと考えられている。この玉造神社が八幡神社になった時期や経緯については明らかではないが、地内にある玉泉寺は源頼朝の弟である範頼草創の慈眼院を再興したものであるとの伝承があることや、近くの津田には鎌倉の鶴岡八幡宮の放生会料所にかかわると思われる八幡神社があることから、源氏の台頭に伴い、源家の氏神である八幡神社が玉作に勧請された結果、旧来の玉造神社が衰徴したか、社名を改め、今日の八幡神社になったものであろうか。
江戸時代、当社は不動寺の持ちであったが、神仏分離後はその管理を離れ、明治七年に村社になり、同四十二年には字成願にあった稲荷社と荒神社を境内に移した。なお、稲荷社は、中世当地の北西隅にあった永福寺という大きな寺の境内社であったといわれている。(「埼玉の神社」より)


玉作八幡神社の周辺図