満讃寺。熊谷市小江川にある曹洞宗寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

満讃寺。田村茂兵衛重次開基、彩の国武州路十二支霊場

満讃寺の概要

曹洞宗寺院の満讃寺は、高根山と号します。満讃寺は、文殊寺第5世霊因祖源大和尚(天正14年1586年寂)が開山、徳川家康の関東入国後、寛永10年(1633)に領主となった当地の領主となった稲垣若狭守重太の家臣田村茂兵衛重次(法名満讃寺殿月山休心居士、天和2年1682年没)を開基とするといいます。江戸期には高根神社、稲荷社・神明社の別当を勤めていました。また彩の国武州路十二支霊場辰年霊場です。

満讃寺
満讃寺の概要
山号 高根山
院号 -
寺号 満讃寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 熊谷市小江川827
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



満讃寺の縁起

満讃寺は、文殊寺第5世霊因祖源大和尚(天正14年1586年寂)が開山、徳川家康の関東入国後に当地の領主となった稲垣若狭守重太の家臣田村茂兵衛重次(法名満讃寺殿月山休心居士、天和2年1682年没)を開基とするといいます。江戸期には高根神社、稲荷社・神明社の別当を勤めていました。

境内掲示による満讃寺の縁起

満讃寺は、曹洞宗の寺で高根山満讃寺と称し、本尊は阿弥陀如来である。
本寺は、野原文殊寺第五世霊因祖源大和尚を開山とし、天正四年(一五七六)二月十日に稲垣若狭守重太の長臣田村茂兵衛重次を開基としている。
文政元年二月八日(一八一八)に殿堂を焼失したが、弘化二年(一八四五)に当寺十九世当忖大和尚が中興した。
当忖大和尚は殿堂の灰燼を深く憂いて衣食をさき十五年の歳月をかけ諸堂を再建した。
当寺には、「祁寒太暑、建立三昧、壁肉柱骨一錢一草、皆他者、聚来、老僧筋骨育」との所感を記した自画像の掛軸が現存している。
伽藍は既に一四〇年を経ているので、檀徒と相談し、昭和五十五年三月に大改修を終えた。(埼玉県掲示より)

新編武蔵風土記稿による満讃寺の縁起

(小江川村)
満讃寺
禅宗曹洞派、野原村文殊寺末、高根山と號す、本尊彌陀を安ず、開山靈因祖源和尚は、本山五世の僧にて、天正十四年五月十一日寂す、中興開基は稲垣若狭守が家人、田村茂兵衛重次なり、法名満讃寺殿月山休心居士、天和二年九月十七日沒す、重次の子孫今に彼家中にあり、(新編武蔵風土記稿より)


満讃寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿