賢勝院。明治10年に勧請した弁財天を源流
賢勝院の概要
日蓮宗寺院の賢勝院は、長寿山と号します。賢勝院は、江戸時代末期の嘉永2年(1849)荒川堤防が決壊、できた沼に投身する者が多かったことから、明治10年に弁財天を勧請して堂宇を建立、その後行田蓮華寺第20世本間日顕上人が妙法堂と改め、明治26年には戸田妙顕寺末の賢勝院の名跡を移す形で寺号公称したといいます。
山号 | 長寿山 |
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院号 | - |
寺号 | 賢勝院 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 熊谷市桜木町1-62 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
賢勝院の縁起
賢勝院は、江戸時代末期の嘉永2年(1849)荒川堤防が決壊、できた沼に投身する者が多かったことから、明治10年に弁財天を勧請して堂宇を建立、その後行田蓮華寺第20世本間日顕上人が妙法堂と改め、明治26年には戸田妙顕寺末の賢勝院の名跡を移す形で寺号公称したといいます。
「埼玉宗教名鑑」による賢勝院の縁起
長寿山と号す。
嘉永2年(1849年)荒川堤防が決壊し大洪水の折、大池沼をつくった。この沼に投身する者が多く、明治10年沼の中央に一宇の堂を建て、天台宗西蔵院の弁財天を勧請して祀った。その後、行田蓮華寺第20世本間日顕上人が妙法堂と改めた。明治26年12月戸田妙顕寺末の賢勝院の寺号を移して公称するに至った。
昭和35年8月現在地に移し、同36年4月本堂を新築した。(「埼玉宗教名鑑」より)
賢勝院の周辺図