鍋小路天神神社。吉川市鍋小路の神社

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鍋小路天神神社。江戸初期に開発された鍋小路村の鎮守

鍋小路天神神社の概要

鍋小路天神神社は、吉川市鍋小路にある神社です。鍋小路天神神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期に開発された鍋小路の鎮守として、水神社と共に祀られてきたといいます。水神社は、昭和10年ころ当社境内へ遷座しています。

鍋小路天神神社
鍋小路天神神社の概要
社号 天神神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 水神、古峰
祭日 お歩射1月25日、夏祭7月25日
住所 吉川市鍋小路54
備考 -



鍋小路天神神社の由緒

鍋小路天神神社の創建年代等は不詳ながら、江戸時代初期に開発された鍋小路の鎮守として、水神社と共に祀られてきたといいます。水神社は、昭和10年ころ当社境内へ遷座しています。

新編武蔵風土記稿による鍋小路天神神社の由緒

(鍋小路村)
天神社
水神社
何れも村の鎮守なり、不動寺の持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による鍋小路天神神社の由緒

天神神社<吉川町鍋小路五四(鍋小路字原沼)>
当地は、江戸川と中川の聞の沖積低地に位置し、しばしば水害を被ってきた。このような中で当社は、村の中央の比較的高い地点に鎮座しており、村の鎮守を洪水から守ろうとした創建当時の人々の願いを感じさせる。
村の開発は江戸初期といわれ、鎮座地の原沼という小名が示すように、沼地を埋め立てて耕地とした所であると思われる。
『風土記稿』鍋小路村の項には、神社について「天神社 水神社 何れも村の鎮守なり、不動寺の持」とある。これに見える水神社は、村の南方の庄内古川の土手の上にあったが、昭和十年ごろに当社境内に移転されている。また、往時両社を管理していた不動寺は、高久村密厳院の末寺で、当社の参道入口左手の鍋小路集会所の辺りにあったものであるが、『郡村誌』には「無住無檀なるを以て明治七年廃寺となる」と載せている。
ただし、その建物は集会所建設以前の昭和五十九年まで現存し、祭りの際の直会会場として使用されていた。
このことは、神仏習合時代の慣例がそのまま継続されたものと考えられる。集会所の傍らには、現在、歴代法印の墓石や青面金剛・十九夜塔・庚申塔などが建っており、往時の面影をしのばせている。
なお、本殿には、安政四年(一八五七)に神祇管領から受けた「天満宮幣帛」と安政十八年彩色の天満天神座像が納められている。(「埼玉の神社」より)


鍋小路天神神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」