密厳院。吉川市高久にある真言宗系単立寺院

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密厳院。武蔵国三十三ヶ所霊場

密厳院の概要

真言宗系単立寺院の密厳院は、医王山錫杖寺と号します。密厳院の創建年代は不詳ですが、近隣に数多くの末寺門徒寺を擁する本寺格の寺院であったといい、慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。西新井組中川通四箇領八十八箇所57番、武蔵国三十三ヶ所霊場7番です。

密厳院
密厳院の概要
山号 医王山
院号 密厳院
寺号 錫杖寺
本尊 地蔵菩薩像
住所 吉川市高久1-18-2
宗派 真言宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



密厳院の縁起

密厳院の創建年代は不詳ですが、近隣に数多くの末寺門徒寺を擁する本寺格の寺院であったといい、慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による密厳院の縁起

(高久村)密厳院
新義真言宗、山城國醍醐報恩院末、医王山錫杖寺と號す、檀林所なり、末寺四ヶ寺、門徒十二ヶ寺を支配す、相傳ふ慶長六年伊奈備前守當領中墾田成就の祈祷を命じ成功の後同人の願により、慶安元年九月十七日寺領十石の御朱印を附せらると云、後本末は既に彦成村圓明院の條に委し、本尊地蔵は立像にて長四尺許、恵心の作と云。
鐘楼。享保十年鋳造の鐘を掛く。
堂。本尊行基の作、薬師の木像なり、又不動をも置
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による密厳院の縁起

当密厳院は開創八百年以前古は山城国醍醐報恩院末医王山錫杖寺密厳院と号し檀林所にして末寺四ヶ寺門徒寺十二ヶ寺を支配したる本寺なり。
慶長六年(一六〇一年)三月二十五日徳川家康公より新田開発の命を受け成功の後徳川家光公より御朱印を受領す。本堂には徳川家歴代の位牌が安置されている。
本尊地蔵菩薩は恵心僧都(九四二〜一〇一七年)の作にして古来より子育安産の地蔵尊として広く尊信を受けている。因にこの地蔵尊の安産のお守りを受けた妊婦に難産の例がないと言われ今日なおお守りを受けに参詣する婦人が多い。他に奈良朝時代行基菩薩作の薬師如来(寅年開帳)同作の観音菩薩(午年開帳)不動明王、文殊菩薩等が安置され広く信仰されている。
境内には八幡太郎義家と共に後三年の役(一〇八七年)に奮戦した鎌倉権五郎景政の子孫一族の墓がある。
庭の大イチョウは推定樹齢八百年埼玉県指定の天然記念物である。(境内掲示より)


密厳院所蔵の文化財

  • 密厳院のイチョウ(埼玉県指定天然記念物)

密厳院のイチョウ

密厳院のイチョウ
中川左岸の自然堤防上、密厳院境内のほぼ中央にある独立樹で雌木である。当院本尊である地蔵菩薩は、恵心僧都(九四二〜一〇一七)の作と伝えられ、古来より子育て安産の地蔵尊として広く尊信をうけているところから、この境内の大イチョウは別名「子育てイチョウ」として親しまれている。
イチョウの雄木の巨木はかなりあるが、雌木で数多くの銀杏をつける大イチョウはこの密厳院のイチョウが関東一とされている。しかし昭和五五年一〇月の台風二〇号によって被害を受けたため、回復樹勢事業を実施して今日に至る。(埼玉県教育委員会・吉川町教育委員会掲示より)

密厳院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿