玉蔵院。三郷七福神の弁財天、武蔵国三十三ヶ所霊場
玉蔵院の概要
真言宗豊山派寺院の玉蔵院は、北野山と号します。玉蔵院は、湯島根生院の隠居寺として、慶長11年(1606)祐堅和尚が開山したといいます。三郷七福神(彦成めぐり)の弁財天、武蔵国三十三ヶ所霊場48番です。
山号 | 北野山 |
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院号 | 玉蔵院 |
寺号 | |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 三郷市天神1-59 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
玉蔵院の縁起
玉蔵院は、湯島根生院の隠居寺として、慶長11年(1606)祐堅和尚が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による玉蔵院の縁起
(下彦川戸村)玉蔵院
新義真言宗、江戸湯嶋根生院末、北野山と號す、開山祐堅万治二年三月二十三日寂す、本尊弥陀。
天満宮
薬師堂。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県・三郷市掲示による玉蔵院の縁起
玉蔵院は、山号を北野山玉蔵院と称し、真言宗豊山派に属する。江戸高田(現在の東京都湯島)の根生院の隠居寺として、慶長十一年(一六〇六)建立されたものといわれ、開祖は祐堅和尚である。
本尊の阿弥陀如来は、平安末期の作で一木造の仏像である。
この他、弘法大師作と伝えられる地蔵菩薩像と新羅伝来といわれる不動明王、さらに如意輪観音像が安置されている。
また、この寺は、江戸時代には寺子屋として利用され、教育の中心となっていた。また、元禄時代(一六八八〜一七〇四)の書家であり大学者の細井広澤がたびたび訪ねてきており、その記念として六曲一双の屏風に書き残された書が寺宝として保存されてている。
明治六年には、浩養学校として初等教育にあてられた。
浩養学校に使われた本堂は、その当時の建築材料や彫刻等を使用して改築され、現在は護摩堂として保存されている。(埼玉県・三郷市掲示より)
玉蔵院所蔵の文化財
- 玉蔵院木造阿弥陀如来立像一躯、木造地蔵菩薩立像(市指定有形文化財)
- 細井広澤書
観音堂
当院は北野山玉蔵院と号し、開祖は祐堅和尚といわれ慶長十一年(一六〇六)建立されたと伝えられます。
市指定文化財の木造阿弥陀如来立像と木造地蔵菩薩立像はいずれも平安時代末期の作と思われる仏像で「藤原彫刻」の様式を伝えております。
本尊の木造阿弥陀如来立像(像高五十八センチメートル・材質ひのき材)は一本の木から彫られた一木造りの仏像で、形状は納衣と呼ばれる衣の部分はひのきの木肌をそのままにした素地仕上げされており、肌の部分は漆を塗りその上に金箔をはった漆箔がほどこされております。
また、木造地蔵菩薩立像(像高四十センチメートル・材質ひのき材)は一木造りで、像の全体は素地仕上げされている仏像です。(三郷市教育委員会掲示より)
玉蔵院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿