片山氷川神社。新座市馬場の神社

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片山氷川神社。片山郷の総鎮守として中世に創建

片山氷川神社の概要

片山氷川神社は、新座市馬場にある氷川神社です。片山氷川神社の創建年代等は不詳ながら、片山郷の総鎮守として中世に創建したのではないかといいます。明治40年、字駒形の村社駒形神社、同境内社稲荷社、字堀ノ内の無格社八雲神社、字同道場の無格社稲荷神社、字堀ノ内の無格社白山神社、同稲荷神社を合祀しています。

片山氷川神社
片山氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞雄命
相殿 誉田別尊、息長足姫命、高良玉垂命、k倉稲魂命、菊理姫命
境内社 稲荷神社
祭日 例祭4月6日
住所 新座市馬場4-10-25
備考 -



片山氷川神社の由緒

片山氷川神社の創建年代等は不詳ながら、片山郷の総鎮守として中世に創建したのではないかといいます。明治40年、字駒形の村社駒形神社、同境内社稲荷社、字堀ノ内の無格社八雲神社、字同道場の無格社稲荷神社、字堀ノ内の無格社白山神社、同稲荷神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による片山氷川神社の由緒

(辻村)氷川社
村の西の臺野火留の境にあり、大門の間一町半ばかり、その内半町程奥に鳥居を立つ、本社は一間に九尺の宮作にて、上屋は二間に三間あり、前に拝殿をたつ二間に三間半、此社鎮座の年代は詳ならざれども古き勧請なりと云、大門の兩脇をはじめ社の三面に、松杉の老樹櫛比して寂々たり、此村及び原ヶ谷戸・上片山・堀之内五村の惣鎮守なり、古へ村内蓮光寺當社大門の側にありし時持なりしが、今の池にうつされ別當を圓光院にゆづり、今はかの院の持となれり。(新編武蔵風土記稿より)

新座市教育委員会新座市文化財保護審議委員会掲示による片山氷川神社の由緒

江戸時代に幕府が編纂した地誌書『新編武蔵風土記稿』文政十一年(一八二八)成立には
辻村 氷川社
大門の間一町半ばかり、その内半町程奥に鳥居立つ。本社は一間に九尺の宮作にて、上屋は二間に三間あり。前に拝殿をたつ。左右仁は素盞嗚尊。この社鎮座の年代は詳らかならざれども古き勧請なり。大門の両脇をはじめ社の三面に松杉の老樹櫛比して寂々たり。…
と記されています。
この老樹の中でも本殿脇に祀られている樹齢七〇〇年と推定される御神木の老杉は、現在は切株だけ残されていますが、かつてはどの場所からも望むことができる巨木でした。
この辺りの黒目川流域は、古くから鎌倉幕府の支配する土地(国衙領)で、「片山郷」といわれていました。旧辻村は、その中心に位置し、江戸時代には幕府の御料所(直轄領)でした。(新座市教育委員会新座市文化財保護審議委員会掲示より)

境内掲示による片山氷川神社の由緒

当社は、さいたま市大宮区高鼻町に鎮座する武蔵一宮氷川神社からの分霊である。江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には「氷川社 村の西の臺野火留の境にあり、大門の間一町半ばかり、その内半町程奥に鳥居を立つ、本社は一間に九尺の宮作にて、上屋は二間に三間あり、前に拝殿をたつ二間に三間半、此社鎮座の年代は詳ならざれども古き勧請なりと云、大門の兩脇をはじめ社の三面に、松杉の老樹櫛比して寂々たり、此村及び原ヶ谷戸・上片山・堀之内五村の惣鎮守なり、古へ村内蓮光寺當社大門の側にありし時持なりしが、今の池にうつされ別當を圓光院にゆづり、今はかの院の持となれり、」
とある。当地は、中世の片山郷の中心であったといわれ、当社西方の堀ノ内一丁目付近は鎌倉御家人で片山郷の開発領主とされる片山氏が居住した地であると伝えられる。
当社の創立も中世に遡ると考えられる。本殿は、一間社流造りで、元治元年(一八六四)に社殿が再建されています。江戸時代までは、当社北東に隣接していた蓮光寺が別当を務めていたが、同寺が移転した為に原ヶ谷戸円光院が務めていた。社蔵の天明九年(一七八九)の「奉拝礼氷川大明神御宝前」と書かれた木札には「別当円光院住」とある。この他、天保四年(一八三三)三月の鳥居再建の棟札が残されている。
明治四十年五月二十日、字駒形の村社駒形神社同境内社稲荷社、同年六月十四日、字堀ノ内の無格社八雲神社、字同道場の無格社稲荷神社、字堀ノ内の無格社白山神社、同稲荷神社を合祀した。(境内掲示より)

「埼玉の神社」による片山氷川神社の由緒

氷川神社<新座市馬場四-一〇-二五(片山村字宮前)>
鎮座地である馬場の地名は、元来は辻村の小字の一つであった。旧辻村の辺りは中世の片山郷の中心であったといわれ、当社西方の堀ノ内一丁目付近は鎌倉御家人で片山郷の開発領主とされる片山氏が居住した地であると伝えられる。この辺りにはほかに、鎌倉期に既に時宗の道場として知られていた古刹・法台寺や、明徳三年(一三九二)の開基を伝える蓮光寺があり、当地の古い開発を裏付ける。
当社の創立も中世にさかのぼると考えられ、片山郷の惣鎮守として祀られたものであろう。社蔵の天保四年(一八三三)の大島居再建棟札には地頭の桜井庄之助を始め、原ヶ谷戸・上片山・堀ノ内五村(ママ)の惣鎮守なり」と載る。
別当はかつて当社北東に隣接していた蓮光寺が務めていたが、同寺が移転したためにいつのころにかその職を原ヶ谷戸村円光院に譲ったと伝える。社蔵の天明九年(一七八九)の「奉拝礼氷川大明神御宝前」と書かれた木札には「別当円光院住」と見える。当社内陣に素盞鳴命像と共に納まる如意輪観音像は別当により奉安されたものであろう。(「埼玉の神社」より)


片山氷川神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿