蓮光寺。片山氷川神社のもと別当寺
蓮光寺の概要
真言宗智山派寺院の蓮光寺は、醫王山と号します。蓮光寺は、重元法印が明徳3年(1392)片山氷川神社近くに開山、江戸時代に当地へ移転したといいます。
山号 | 醫王山 |
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院号 | - |
寺号 | 蓮光寺 |
住所 | 新座市馬場1-9-3 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
蓮光寺の縁起
蓮光寺は、重元法印が明徳3年(1392)片山氷川神社近くに開山、江戸時代に当地へ移転したといいます。
新座市教育委員会・新座市文化財保護審議委員会掲示による蓮光寺の縁起
真言宗智山派の寺院で、寺伝によると南北朝時代の明徳三年(一三九二)に法印重元が開山したと伝えます。
江戸試合に幕府が編纂した地誌書『新編武蔵風土記稿』文政十一年(一八二八)成立には
辻村 蓮光寺
境内五反、本尊薬師如来坐像 豊嶋郡石神井村三宝寺末なり。医王山と號す。開山法印重元明徳三年の創建なり。古くは氷川神社の別当にて、寺もその社地にありし。何の比にか今の地へ移りと云々・・・と記されています。
境内に現存する板碑(石製塔婆)は南北朝時代の康永元年(一三四二)から康正元年(一四五五)にかけて追善や供養などのために造立されたもので、当時の社会・文化生活の実状を知る貴重な資料です。
蓮光寺のある旧辻村は片山郷内十か村の一つで、古くから幕府の御料所(直轄領)でした。(新座市教育委員会・新座市文化財保護審議委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による蓮光寺の縁起
(辻村)蓮光寺
境内五反、村の北の方原ヶ谷戸村の境にあり、新義真言宗、豊嶋郡石神井村三寳寺末なり、醫王山と號す、開山法印重元明徳三年の創建なり、當寺昔は村内氷川明神の別當にて、寺も彼社地にありし、何の比にか今の地へ移り、別當職をも原ヶ谷戸村圓光院に譲りしと云傳ふ。
表門。本堂の正面にあり、東向、兩径作なり。
裏門。表門のならびにて南の方二十間餘をへだてて建つ。
本堂。十間に六間、本尊は薬師如来の坐像を安置す、もとの本尊佛はその貌ち甚だ小なるにより、後に此像を彫刻して本尊とせしといふ。
薬師如来像。弘法大師の作と云傳ふ、長五寸許、本尊の側に安す、これ昔の本尊佛なり。
不動像。作しれず。
弘法大師像。同上。
興教大師像。同上。
開山像。坐像長一尺八九寸ばかり、面相威望ありて畏敬すべきの容なり、側に位牌あり、開山法印重元應永七年七月十二日と面に刻し、裏に明徳三年開寺生四遠州人也と刻す。此位牌はいと古き者と見へて、潤飾もみな剥落し殊勝のものなり、其條開山の事實尋るに由なし。
辨財天像。坐像長一尺五六寸、中古まで當寺の南にあたりて、田間にこの辨天の堂ありしが、一旦破壊せしにより暫く此本堂に安す、かの堂址は今に至りて除地なりと云。
稲荷社。本堂に向ひて右にあり、小祠なり。
古碑。墓所にあり、應永五戊と刻して上に彌陀の種字あり、其餘の文字は滅してよむべからず。(新編武蔵風土記稿より)
蓮光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿